皆さんはなにがきっかけで『三国志』に興味を持つようになったでしょうか?
小説やマンガ、映画やゲームなど、『三国志』はあらゆるメディアで数多くの作品として描かれていますので、
それだけ多くの“出会い”があると言えるでしょう。
しかし、現代日本人にとって、『三国志』の定番中の定番と言えば、
やはり吉川英治の小説『三国志』では、ないでしょうか?
この記事の目次
従軍記者としての体験が契機となって
吉川英治は幼少期から『三国志』に親しみを持ち、
自作の江戸時代を舞台にした伝奇ロマン小説に『江戸三国志』とタイトルを付けるなど、
『三国志』に対する愛着を持ち続けていました。
彼が小説『三国志』を執筆しようと思い立つきっかけとなったのが、
1937年(昭和12年)から二度に渡る従軍記者としての経験でした。
軍と共に中国大陸各地を渡り歩き、目の当たりにした大陸の広大な風土や悠久の歴史に感銘を受け、
1939年(昭和14年)から新聞の連載小説として『三国志』の執筆を開始、1943年(昭和18年)に完結しました。
三国志演義をベースにしつつも、独自の視点で味付けされた吉川三国志
『三国志演義』では、しばしばストーリーの展開上の出来事を省略、あるいは単純化されて描写されることがありますが、
吉川英治は自身の味付けで登場人物の行動や内面を掘り下げ、日本人向けの創作を心がけました。
『三国志演義』は劉備・関羽・張飛の3人が桃園で義兄弟の契を交わす、有名な『桃園の誓い』のシーンから始まりますが、
吉川版では『桃園の誓い』に至るまでの三人の交流を描きこむことで、より感銘的に描いています。
また、それまで単なる悪役として描かれることの多かった曹操について、
その魅力的な側面を描きこむことで、
それまでのイメージを払拭する人間性豊かな人物として描いていることも特徴のひとつと言えるでしょう。
現代中国でも曹操の再評価が進んでいるとされますが、
中国人より日本人に曹操ファンが多いとされるのは、吉川三国志の影響であることは間違いありません。
一方で、吉川英治は『三国志演義』の荒唐無稽な描写に関してはその描写を排除、
あるいは合理的な説明を付けています。
『三国志演義』では妖術や呪いの類が描写されるが吉川英治作は?
『三国志演義』ではしばしば妖術や呪いの類が描写されていますが、
吉川英治はこれを“幻覚”によるものと説明、
また、赤壁の戦いにおいて孔明が吹かせたとされる『東南の風』については、
孔明がこの地方のこの季節にだけ吹く貿易風のことを知っており、それを利用したとするなどの工夫をしています。
日本の『三国志』作品に与えた最大の影響とは?
ところで、『三国志のラストシーン』と聞いて、皆さんはどんな場面を連想されるでしょうか?
おそらく多くの方は、五丈原で諸葛孔明が死ぬ場面を思い描かれるかと思います。
実は『三国志演義』では孔明の死後も物語が続いており、
最終的に晋が魏・呉・蜀の三国を統一するところまで描かれているのです。
この、五丈原で物語を終わらせる形式の原点となったのが吉川版『三国志』だったのです。
吉川英治以降に書かれた陳舜臣の『秘本三国志』や北方謙三の『三国志』など、
日本で書かれた多くの三国志小説が五丈原で物語を終わらせています。
(柴田錬三郎の『柴錬三国志 英雄ここにあり』に至っては孔明が“出師の表”を上奏する場面で終わっています)
三国志には興味がある、最初に何を読めばいいの?
『三国志』には興味があるけど、何から読んでいいのか分からないと迷っていらっしゃる方もおられるでしょう。
まずは吉川英治の『三国志』から、始めてみてはいかがでしょうか?