衝撃的なニュースが中国から飛び込んできました。
三国時代の遺跡を調査している、日本の稲井大学の研究班が、
古都長安の1800年前の遺跡から、
二本の鉄軌道が伸びているのを発掘したのです。
鉄軌道は、方角から見て、南方の漢中に向けて敷かれる予定だった
模様ですが、途中で頓挫し、完成した様子は無いとの事。
世界最古の貨車格納庫の可能性も
遺跡からは、この鉄軌道を走っていた貨車を格納していたであろう
建物の礎石の跡も、20数個見つかっており、
世界最古の貨車格納庫である可能性も指摘されています。
さて、この鉄軌道を何が通っていたのでしょうか?
稲井大学の考古学博士、有江氏と名井氏のコメントによると、、
「この長安から漢中までの鉄道は、
手押しのトロッコのような貨車が走っていた可能性が高い」
「仮に、馬車であれば、もう少し軌道は広いが、これはかなり狭い、
二人乗りで、中央の貨車に物資を載せて運搬しようとしていた
のではないか?」との事。
実は、三国志の時代は、100年の争乱で著しく農業生産力が低下
そこで、馬のような貴重な労働力は、極力運搬には使わず、
軍事と農業に従事させています。
諸葛孔明も人力で軍需物資を運ぼうと文献が残っている
例えば、蜀の諸葛孔明も、木牛や流馬を発明して、
人力で軍需物資を運ぶ試みをしているのが文献からも分かります。
おそらく、魏でも状況は似ていて、蜀との防衛ラインだった、
漢中の近くまで鉄軌道を延伸させて、貨車を使い人力で物資を
運搬しようと考えたのではないでしょうか?
古代ギリシャのパルテノン神殿でも発見されていた
実際、鉄軌道の跡は、2000年前のギリシャのパルテノン神殿の下の
遺跡からも発見されていて、かなり古くからあった発想、
また、トロッコのような複雑な仕組みの手押し車に関しても、
魏には、馬均という孔明を凌ぐ発明家がいた事が分かっています。
何故、鉄道は完成しなかったのか?
では、どうして、長安から漢中までの鉄道は完成しなかったのか?
これは推測ですが、鉄軌道が造られ始めた頃に、
蜀では孔明が死去し、積極的な魏への侵攻が起こらなくなった為
であると考えられています。
■追伸
※この記事は2015年4月1日のエイプリルフールなんです。嘘ついてごめんちゃい。
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この記事を書いた人:kawauso
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歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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