曹操の妻はどんな人達だったの?13人を紹介 Part4

2015年6月26日


13人の妻達(曹操)

曹操の13人の妻を一挙公開! その4です。

 

以下にご紹介する女性たちは、

本来、「〇〇という子供を生みました!」

としか書けない女性たちなのですが、それだけでは味気ない。

 

そんなわけで、彼女たちについては、

かなりのフィクションです。ほぼ創作しています。

みなさまからも、

「私もこんな女性だったと思うよ」

「いやいや違う!」

など、様々なご意見をうかがえましたら幸いです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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妻No.10 周姫

周姫

 

・フリガナ:しゅうき

・子供:長男、曹均(そうきん)219年没

 

息子の曹均は、曹操の弟である曹彬(そうひん)の養子となって

樊安公となり、

曹操配下の中では最強武将のひとりといえる張繍の娘と結婚しました。

 

歴戦の猛者張繍が、数ある曹操の息子たちの中から

「わが娘を嫁がせましょう!」と認めたことから、

曹均は武力に優れた立派な息子であったと思われます。

母親の周姫も、さぞ鼻が高かったことでしょう。

 

しかしながら、夫曹操よりも先に、息子の曹均は病で亡くなってしまいます。

それでもすでに、孫息子3人に恵まれており、

家系が途絶えるという憂き目には遭いませんでした。

 

また、孫のうちの一人は、尹夫人の生んだ曹矩(子なし若死に)の

跡継ぎとして迎え入れられたので、

周姫は、尹夫人と良好な関係を築き、王宮の中でも

安定した暮らしをしていたと考えられます。

 

 



妻No.11 劉姫

劉姫

・フリガナ:りゅうき

・子供:長男、曹棘(そうきょく)若死に

 

「劉」姓と聞くと、この当時はみんな、

「我こそは漢王室の子孫なり!」ととりあえず言ってみるような

イメージがあるのは、劉備玄徳のせいでしょうか。

 

晩年になって権力に執着を見せ始めた曹操が、

そんな自称劉家から一人のうら若い女性を後宮に入れていたとしても

不思議はありません。

 

劉姫は曹操の息子を生むという幸運に恵まれますが、

その子は早世してしまいます。

養子をつけて家を存続させることもなく、与えられた領地は没収。

劉姫も、悲しみのあまりに若くして亡くなってしまったのかもしれません。

 

 

妻No.12 宋姫

宋姫

 

・フリガナ:そうき

・子供:長男、曹徽(そうき)242年没

 

息子の曹徽は曹操の弟の曹玉(そうぎょく)の跡を継ぎ、

さらに孫の曹翕(そうきゅう)は晋王朝にも仕え、医学の道に進んだといいます。

 

曹操の息子を生んだことで、安定した生活が送れた女性なのではないでしょうか。

 

 

妻No.13 趙姫

趙姫

 

・フリガナ:ちょうき

・子供:長男、曹茂(そうぼう)わりと長生き

 

息子の曹茂は、曹操の晩年に生まれた子供でありながら、

曹操から愛されることはありませんでした。

 

おそらく曹操とは親子ほども離れた歳の趙姫は、

「この色ボケじじいが!」

と心中怒りでいっぱいだったのではないでしょうか。

 

そんな趙姫に育てられた曹茂が、性格がまっすぐであるはずがありません。

頑固で傲慢に過ぎる性格をしていたため、

曹丕から疎まれ、

生存する曹操の息子の中では唯一、王位が与えられませんでした。

 

それでも、曹丕から抹殺されずに放っておかれたことを見ると、

取るに足りないと判断された、残念な子だったのでしょう……。

 

曹茂は、曹叡の代になってようやく王位を与えられますが、

年をとって性格が丸くなったのか、

それとも趙姫と曹茂がそろって

「王位をちょうだいよ!」

と曹叡に迫ったためなのか、想像するのも楽しいですね。

 

 

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この記事を書いた人:東方明珠

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通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。

普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。

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中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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