曹操の妻はどんな人達だったの?13人を紹介 Part2

2015年6月23日


13人の妻達(曹操)

曹操の13人の妻を一挙公開! その2です。

 

曹操は妻を政治に介入させなかったため、

正史における女性たちの記録は、

子供のことだけしか書いていない女性がほとんどです。

 

そのため、子供や周囲の状況から

「このような女性だったのでは?」という推測も交えてご紹介しています。

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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妻No.4 杜夫人

杜夫人

・フリガナ:とふじん

・子供:

長男、秦朗(しんろう)*父は秦宜禄

次男、曹林(そうりん)256年没

三男、曹袞(そうこん)235年没

長女、金郷公主(きんきょうこうしゅ)

 

もともと、呂布(りょふ)の武将秦宜禄(しんぎろく)の妻で、

男児(秦朗)もいましたが、

秦宜禄が袁術(えんじゅつ)のもとへ身を寄せた際、

秦宜禄と漢室の娘を結婚させようということになり、

離縁されました。

 

杜夫人は子供と共に捨てられ、親子二人、下邳城でひっそりと暮らします。

そんな杜夫人の美貌は、関羽(かんう)の目に留まりました。

 

「呂布を破って、彼女を妻にしたいんですが……」

関羽から、そんなことを告げられた曹操は

「なに!? そんなにカワイコちゃんなら見過ごせん!」と

興味を持ち、

関羽との約束をほごにして、自分の妻とします。

 

曹操は杜夫人の連れ子、秦朗も可愛がってくれたので、

杜夫人もそんな曹操に心を許し、

曹操との間に二男一女をもうけ、平穏に暮らしました。

 

息子たちは権力に欲がなく、素朴で素直に育ちました。

このことからも、杜夫人の穏やかな人柄がしのばれます。

 

 

妻No.5 秦夫人

秦夫人

 

・フリガナ:しんふじん

・子供:

長男、曹玹(そうげん)若死に

次男、曹峻(そうしゅん)259年没

 

夫人、子供共に歴史書に記載はありません。

 

目立った活躍はなかったものと思われますが、

それでも「夫人」と呼ばれ、きちんとした妻に数えられていること、

そして子供たちも、とりわけて曹操に寵愛されていたわけではないのに、

若死にしたあとで、きちんと養子を取らせて領地を継続させ、

死後に贈号されていること、

この二点から見て、秦夫人はそれなりの高い身分の出自だったと

想像ができます。

 

そうすると、浮かび上がってくるのが、秦邑(現在の河南省范県)に

由来のある、姫姓秦氏の女性である可能性があります。

姫姓秦氏とは、周建国の功臣、周公旦(しゅうこうたん)の血を引く

秦一族のことです。

 

曹操は216年に臣下から、魏王に位を進めますが、

その準備段階として、

形式上高い身分の女性を妻として迎え入れたのかもしれません。

 

 

妻No.6 尹夫人

尹夫人 曹操

・フリガナ:いんふじん

・子供:

長男、何晏(かあん)*父は何咸

次男、曹矩(そうく)若死に

 

尹夫人は最初、

後漢の霊帝の時代に、外戚として権力をふるっていた

何進(かしん)息子、何咸(かかん)に嫁ぎます。

 

権力者の息子に嫁ぐということは、尹夫人も洛陽では

それなりの家柄の娘だったと言えます。

尹夫人は何咸との間に男児をもうけました。

 

夫の何咸が、宦官との抗争に敗れて殺されてしまったため、

尹夫人は息子と共に路頭に迷います。

 

その後、どのような経緯か不明ですが、曹操の妻となり、

曹矩を生みます。

 

その3に続きます。

この記事を書いた人:東方明珠

東方明珠 三国志

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東方明珠(とうほうめいしゅ)

■自己紹介:

はじめての三国志

通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。

普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。

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東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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