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三国時代の経済ってどうなってたの?

この記事の所要時間: 347

絹 s

 

三国志を読んでいると、時々「布」「絹」を褒美に…という記述が出てきます。

まあ絹は高価なものですし、アリかな?とお思いかもしれません。

 

しかしここで金銀や銅銭ではなく「布」が出てくる理由がちゃんとあるのです。

 

 

 

貨幣が登場したのは春秋時代?

青銅器 s

 

中国で貨幣が登場したのは春秋時代。

これ以前は物品の対価として青銅器が用いられていました。

 

それをより使いやすく持ちやすい形にしたのが貨幣です。

鋤の形をした布貨、刀の形をした刀貨、中央に穴の空いた環銭などが造られます。

 

この頃の貨幣は青銅製で、戦国時代になると金貨や銀貨が登場してきます。

秦の始皇帝は各地でバラバラに造られていた貨幣を統一し、秦で流通していた環銭に統一します。

 

前漢では紙幣の価値が下がった、その理由とは

金 s

 

前漢でも踏襲されましたが、貨幣の価値はだんだんと下がってきます。

これは今のお金と違い、あくまでどれくらいの「銅」や「金」が使われているか、が重要視されたためで、

例えば混ぜものをして銅の量を少なくしたり、1枚の重さそのものを軽くしたりすると価値が下がってしまうためです。

 

一応銭に対する重さや含有量は決められていましたが、時の政権が質の悪い貨幣を発行したり、私鋳銭がOKになったりという事もありました。

 

 

新の時代では穀物と布が使われる

穀物 s

 

前漢が滅び新の時代、王莽は貨幣を周の時代のものに戻そうと、それまでの貨幣を禁止して新たに復古調の貨幣を発行しました。

しかし使い勝手が悪かったため全く流通しません。

 

その後赤眉の乱などの戦乱が起こり、銅は武器用としても使われ、銅銭はどんどん不足していきます。

 

 

そこで代わりに使用されたのが、生活にかかせない穀物と布でした。

何か貨幣経済破綻しちゃって物々交換に戻った感じも受けますが、これらはあくまで「貨幣」の代わりとして使われました。

 

 

 

後漢では五銖銭(ごしゅせん)

銅

 

後漢に入り、前漢で使われていた銅銭「五銖銭(ごしゅせん)」鋳造が再開されます。

しかし民間の施設で造られる(許可制)ようになっても、あまり鋳造施設や流通量は増えませんでした。

布の流通が盛んになり、一時は俸給も絹布となりました。

 

しかしいちいち裂いて使ったり、その価値が結局金・銀に左右される事から短期間で廃止されています。

廃止されましたが絹布を貨幣・財物とみなす慣習は残りました。

 

またこの時に絹布を流通させるため、銅銭をわざと備蓄し流通数を抑えた事により、銅銭の価値が高くなり、

貨幣としても機能していましたが贈答用の性格が強くなってきました。

そして銭の備蓄という行為も慣習として残り、後漢末には五銖銭の価値がとても高くなりました。

 

 

 

董卓時代にはハイパーインフレが起こる

董卓&呂布

 

後漢末の霊帝の時代、宮殿の修復費用として全国から銅銭が集められます。

しかし霊帝の死後に董卓が実権を握ると、この銅銭を改鋳して、とても価値の低い悪質な貨幣に変えてしまいます。

 

このためハイパーインフレが起こってしまい、銅銭はますます貨幣として流通しなくなりました。

 

 

曹操が五銖銭の流通を試みる…

現実主義曹操

後年曹操がちゃんとした質の五銖銭の流通を試みますが、その絶対数が足りないために諦めています。

 

これは曹操の勢力範囲に銅鉱山や燃料確保の森林資源が乏しかったこと、

動乱により華南や蜀に人が移り貨幣の流通範囲が広がったため華北に十分な五銖銭が回らなかったからと考えられています。

 

そのような状況ですので、金は元より(銀はあまり採れなかったので副次的な位置だった)

穀物と絹布の価値がより高くなり流通します。

 

 

後漢時代には技術改革が起こる

水車 s

 

付け足しますと後漢はの発明や鉄器による農業生産の向上、

紡織機の性能向上による布製品増産の時代で、これらが流通の主役になる土壌がありました。

 

また後漢は前漢と比べ商業・職工を奨励していましたので、

貨幣経済の急激な加速に貨幣生産が追いつかない…という背景もあったようです。

 

華北で銅銭が漢の頃のように流通するのは、魏の明帝~晋まで待たねばなりません。

 

 

蜀と呉の流通はどうだったの?

劉備と孫権同盟

 

蜀と呉ではどうだったのでしょう?この二国には銅の産地であり、

山岳・森林地帯もあって燃料も豊富でしたので、独自に銅の貨幣を発行しています。

 

 

劉備が入蜀する以前は太平百銭が流通していた

五斗米道 はじめての三国志

 

劉備が入蜀する以前、漢中を掌握していた五斗米道では「太平百銭」という独自通貨が流通していました。

劉備はこれを受け継いで、蜀で「直百五銖」という貨幣を発行しています。

 

 

呉の孫権でも独自に鋳造・発行していた

孫呉(孫権黄蓋陸孫周瑜周泰) 

 

呉でも孫権が「大泉五百」「大泉当千」という貨幣を発行しますが、

これは単位が大きすぎた(100円玉が必要なのに5000円玉からしかない、という感じ)ためあまり流通しなかったようです。

 

但し五銖銭が呉の墳墓から大量に出土しており、独自に鋳造・発行していた可能性があります。

 

参考文献;

山田勝芳「後漢・三国時代貨幣史研究?古代から中世への展開」『東北アジア研究』3号 1999年

 

 

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