こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
負けたけど器が大きかった符堅
符堅は、漢民族の宰相の王猛(おうもう)のアドバイスを常に聴き入れました。王猛と符堅は君臣の隔てを越えた熱い友情で結ばれていたと言われます。王猛は、孔明(こうめい)に匹敵する人物であり、そのアドバイスに従った結果符堅は華北統一まで漕ぎつけたようです。また、符堅は当時としては信じられない程の平等主義者であり、破った異民族の王族も殺す事なく存続させ、侮蔑的な扱いをしませんでした。
前秦が崩壊した原因
ところが、それが仇になり、前秦が落ち目になると彼等異民族は、符堅に恩義を感じるどころか次々と謀反を起してしまいます。もしかして、異民族を威圧的に扱っていたら、前秦は、あんなに呆気なく崩壊しなかったかも知れません。
氐族は、漢民族と同化して消滅
西暦580年、南北朝時代に楊騰率(ようとうりつ)が興した最期の氐族国家仇池(きゅうち)が楊堅(ようけん)に滅ぼされる事で氐族は滅亡します。元々、漢族に近い部分があった氐族は、ここで完全に漢族に同化し以後、歴史書に氐族は登場しなくなるのです。