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馬超や曹操と因縁が深い氐族(ていぞく)

2015年7月12日


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馬超や曹操と因縁が深い氐族(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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負けたけど器が大きかった符堅

 

符堅は、漢民族の宰相の王猛(おうもう)のアドバイスを常に聴き入れました。王猛と符堅は君臣の隔てを越えた熱い友情で結ばれていたと言われます。王猛は、孔明(こうめい)に匹敵する人物であり、そのアドバイスに従った結果符堅は華北統一まで漕ぎつけたようです。また、符堅は当時としては信じられない程の平等主義者であり、破った異民族の王族も殺す事なく存続させ、侮蔑的な扱いをしませんでした。

 

前秦が崩壊した原因

 

ところが、それが仇になり、前秦が落ち目になると彼等異民族は、符堅に恩義を感じるどころか次々と謀反を起してしまいます。もしかして、異民族を威圧的に扱っていたら、前秦は、あんなに呆気なく崩壊しなかったかも知れません。

 

氐族は、漢民族と同化して消滅

 

西暦580年、南北朝時代に楊騰率(ようとうりつ)が興した最期の氐族国家仇池(きゅうち)が楊堅(ようけん)に滅ぼされる事で氐族は滅亡します。元々、漢族に近い部分があった氐族は、ここで完全に漢族に同化し以後、歴史書に氐族は登場しなくなるのです。

 

ぐっすり眠れる!ながら三国志

 

 

 

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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