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屁理屈から論理的に導く名家ってどんな人達?

2015年7月18日


 

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諸子百家(しょしひゃっか)の多くの思想家たちは、縦横家に代表されるように弁舌のたつ人物でした。

 

他人に対して説得力のある意見を説くには、

なにより合理的で論理的な弁論の技が必要となります。

それには論理を組み立てる論理学が有効です。

 

しかし、論理学にこだわりすぎると、それはしばしば本質を欠いた、

論争のための理屈=詭弁に陥ってしまいます。

 

諸子百家にはそんな論理学を説いた“名家”と呼ばれる学派が存在しました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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古代中国を離れて古代ギリシャに目を向けてみましょう

 

一旦、古代中国を離れ、ギリシアに目を向けてみましょう。

古代ギリシアの時代、ゼノンという自然哲学者がいました。

 

ゼノンは『ゼノンのパラドックス』という考え方で知られる人物です。

 

『パラドックス』というのは、一見正しいように思える前提条件と、妥当な推論を進めたはずなのに、

何故か受け入れられない結論が出てしまうような状況を意味する言葉です。

日本語では逆説とか背理と呼ばれますね。

 

ゼノンのパラドックスで有名な話『飛んでいる矢は止まっている』

 

ゼノンのパラドックスで有名な話として『飛んでいる矢は止まっている』というものがあります。

 

飛んでいる矢を想像してください。

そしてその矢が飛んでいる一瞬を抜き出します。

 

その瞬間、矢は空間のある位置に固定され、前に進んではいません。

時間の流れはこの一瞬の連続であるわけですから、飛んでいる矢は常に静止しているのです。

 

……というのが『飛んでいる矢は止まっている』というパラドックスです。

 

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古代中国には「飛んでいる鳥の影は動かない」

 

感覚的には明らかに間違っているのですが、理屈で反論すると難しいですよね。

実はこの『飛んでいる矢は止まっている』というパラドックスによく似た話が、古代中国に存在しています。

それは『飛んでいる鳥の影は動かない』というもの。

 

このパラドックスを唱えたのが、名家の思想家たちでした。

 

白馬は馬にあらず

白馬義従の公孫サン

 

名家は相手を論破するための理屈を生み出す論理学を説いた諸子百家のひとつです。

諸子百家の時代は、縦横家に代表されるような弁舌の徒が活躍した時代でした。

 

いかに素晴らしい理念やアイデアであっても、それを相手に理解させ共感させる論理性が必要となります。

名家はこの論理の重要性に気づき、相手を論破し自身の意見に賛同させるための弁論術=論理学を重視した人たちでした。

 

名家を代表する人物として公孫竜の名を上げることができます。

公孫竜の名前を有名にした話として『白馬非馬説』が知られています。

 

『白馬の“白”とは色の概念であり、“馬”とは動物の概念だ。

つまりその二つの概念が合わさった“白馬”は馬ではない』

 

というのが『白馬非馬説』。

 

明らかに、これは詭弁と呼ばれる類の理屈ですね。

実際、公孫竜は詭弁家と批判され、それまで彼を重用していた君主に見捨てられて、

最後には悶死してしまいます。

 

結局、議論のための屁理屈に留まった名家の思想

 

ゼノンのパラドックスは、それ自体は名家同様、詭弁と類される理屈に過ぎません。

しかし、その理屈には物の存在と本質を分離して考えるという性質も含まれていました。

 

やがてそれは事物の本質を論じるイデア論につながり、

ギリシア哲学の発展をうながすことにもつながっていきました。

 

対して、古代中国の名家はそのような発達を見せることなく、

弁論術の訓練としての詭弁の域を出ることがありませんでした。

 

これは諸子百家があくまで己の理念を実現するための手段としての弁論を用いたためで、

弁論そのものの技術自体を発展させようという意識が生まれてこなかったからと考えられます。

 

諸子百家にとって、理屈はあくまで道具に過ぎませんでした。

 

名家の詭弁が発達していれば、どのような哲学が生み出されていたのでしょうか?

それを見られなかったことは、残念に思えます。

 

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はじめての列子

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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