曹操孟徳と織田信長の共通点!あなたはいくつ当てはまる?

2015年9月23日


自給自足できる

曹操アップルパイを焼く

 

曹操もあらたな政策を次々に出しています。群雄割拠の時代は各群雄が他の領土に侵攻し略奪などをして軍の兵糧を奪っていた群雄が大多数を占めていた時代です。曹操は自国の農業生産力を向上させるため、遠征に出ない兵士を各地で農業に従事させる政策を実施します。この政策を導入してことで、潤沢な穀物を生産することに成功し群雄割拠の時代において一歩リードします。また群雄割拠の時代の覇者を目指すため曹操は自分の軍師たちを政治や戦略のプレーンとして参謀の集団を組織することで、周りの意見を聞き積極的に取り入れ、覇道へと邁進していきます。

 

素行がよくない

ヤンキー曹操

 

信長は幼い頃から素行が良くなく、母親や家臣達は「うつけ者」(ばか・放蕩者などの意味)と呼ばれておりました。服装もボロボロの上着を羽織って、家臣の次男などを誘いやりたい放題遊んでいました。素行の悪さを表すエピソードがあります。父信秀の葬儀の時に信長は葬儀の時間に大幅に遅刻しただけでも素行の悪さを表すエピソードとして十分のですが、信長はその後抹香を掴んで父の遺影に思いっきりぶつけて帰ります。

 

経済政策が得意な織田信長

 

どうしようもない素行の悪さであるが、このエピソードには後日譚があり、信長の守役である平手政秀が信長の素行の悪さを悲しみ自害してしまうのです。信長は平手政秀が自害したことを大いに悲しみ、寺を立てて弔う少しいい後日譚でした。曹操の幼少期の名は阿瞞と呼ばれていました。「阿瞞」の意味はうそつきちゃんという意味です。ものすごい幼名でありますが、これぐらい放蕩息子として父曹嵩も養育にはかなり手こずっていたと思われます。しかし青年期になった曹操の放蕩ぶりは尋常ありません。曹操の放蕩ぶりを表すこのようなエピソードを紹介します。

 

花嫁泥棒

曹操&袁紹花嫁泥棒

 

曹操は青年期袁紹と仲がよく二人で色々といたずらや悪事を働いておりました。ある日近所の娘が婚礼を挙げるということを聞きつけた曹操は袁紹を誘って花嫁泥棒を決行します。袁紹が「泥棒が入ったぞ」と大声を上げ婚礼に呼ばれた客たちを引きつけておいて、その間に曹操が花嫁を盗み出します。しかし家から脱出するときに袁紹は足に茨の刺を突き刺し、動けなくなってしまいます。このままでは追いつかれると思った曹操は「ここに花嫁泥棒がいるぞぉぉ」と大声を上げます。袁紹は痛みを忘れてかけ出しなんとか難を逃れるのです。この曹操の放蕩ぶりは尋常じゃありません。他人の嫁を盗み出すとは現在じゃ考えられないですね。二人の覇者は幼少期・青年期共に常軌を逸した放蕩者である点が共通点として挙げられます。

 

まとめ

曹操 油断

 

あなたはいくつ当てはまりましたか?

全て当てはまればあなたも今日から覇。さぁ、力を振りまいてみましょう!

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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