【はじめての孫子】第9回:其の疾きことは風の如く、其の徐なることは林の如く

2015年10月10日


 

司馬懿

 

さて、「はじめての孫子」第9回は「軍争篇」。

孫子が軍隊の行軍について解説しています。

あの、日本人なら誰もが知っているフレーズも登場!!

 

それでは、早速始めてまいりましょう。

 

前回記事:【はじめての孫子】第8回:夫れ兵の形は水に象(かたど)る。

関連記事:三国志を楽しむならキングダムや春秋戦国時代のことも知っておくべき!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「軍争」の要点

 

◯兵を疲弊させる長距離遠征は危険

 

◯敵に自軍の行動を悟らせないよう、臨機応変に行動すべし

 

◯敵を疲弊させてから攻撃するのが上策

 

 

 



長距離遠征はとっても危険

 

よく鍛えられた兵士でも、つまるところは人間です。

長距離を歩けば疲れもするし、腹も減ります。

まして、重い甲冑やカブトを身につけ武器を携行しているのですから、

その負担は並大抵のものではありません。

 

遠くの戦場へ早く移動しようとする程、

兵隊は疲れ、それだけ戦いに不利になります。

まあ、当然のことですよね。敵より有利な地点に陣を敷こうと焦って、

遠いところへ何日も昼夜分かたず進軍……

なんてことになれば、いざ実戦というときに兵士は疲労困憊、

戦うどころではなくなってしまいます。

 

さらにここで問題になってくるのが輜重部隊です。

輜重部隊とは要するに輸送部隊のこと。

ロボットではないのですから、飲まず食わずで戦うわけにはいきません。

だから当然、軍隊は食糧を持って行軍することになります。

 

食糧や他に必要となる資材などを輸送することを受け持つのが輜重部隊です。

ただでさえ重い甲冑や武器を身につけた兵士たちが大量の物資を運ぶのですから、

当然、その移動速度は遅くなります。

 

もし、敵に先んじて戦場へ到着しようと、無理に急いで行軍すれば、

重い荷物を運搬する輜重部隊はそれについて行くことができず、

脱落してしまうかもしれません。

 

そんなことになれば、兵士は食べるものもない状態で戦わなければならなくなり、

これは大変に危険な状態です。

 

行軍のリスクとなるのは距離や速度だけではありません。

行軍するその道筋が、いつも平坦な道とは限りません。

時には険しい山や前進をはばむ鬱蒼とした森、

橋のかかっていない川がその行く手を阻むこともあるでしょう。

 

そういう状況に出くわす度に、

いちいち回避するのではただでさえ長距離遠征のリスクを負っているところに、

更に無駄な距離を移動する羽目になってしまいます。

孫子は地形を把握し、土地の地形に詳しい案内役をちゃんと使って、

そういうことにならないよう、注意を促しています。

 

八甲田山の悲劇が教えてくれる教訓

 

1902年1月、青森県で雪中行軍隊が猛吹雪に巻き込まれて遭難、

行軍訓練に参加していた210名のうち、199名が死ぬという痛ましい事件が起こりました。

この遭難事件の顛末を作家の新田次郎が『八甲田山死の彷徨』というタイトルで小説化、

1977年には映画化されたことでも知られています。

 

この雪中行軍隊がなぜ遭難したかについてはいくつかの要因が考えられていますが、

そのうちのひとつに情報不足が挙げられています。

実際に行軍を指揮した神成文吉(かんなりぶんきち)大尉が前任の指揮官に変わって、

部隊長になったのは行軍実施のわずか3週間前で、十分な予行演習も行うこともできませんでした。

 

神成大尉自身、将校として雪中行軍を指揮したことはそれまでなく、

部隊の半数が雪国の出身者ではなかったなど、

とにかく今回行われる雪中行軍に関する情報に乏しかったことが、

部隊を混乱させた大きな要因であると考えられています。

 

いかにして、敵を不利な状況に陥れるか?

 

このように、孫子は無謀な長距離遠征を厳にいましめていますが、

それは裏返せば敵をそういう状況に追い込むことで自軍が有利になるということです。

 

しかし、それを実行するために必要不可欠な条件があります。

それは敵に自軍の動きを知られ、行動を予測されてはいけないということです。

敵を罠にかけようとしても、敵に察知されてしまったら元も子もありません。

 

だから孫子は、軍を動かすに際しては、あるときは迅速に進み、

またある時は静かに待機して、敵に自軍の行動を悟らせないよう工夫する必要があると説いています。

 

その様子を、孫子はこう描写しています。

 

其疾如風

其徐如林

侵掠如火

不動如山

難知如陰

動如雷震

掠郷分衆

廓地分利

懸権而動

 

疾風のようにすばやく進撃し

林の木々のように静かに待機し

火が燃え広がるように一気に進行し、

山のようにどっしり構えて居座り、

暗闇に潜むようにその姿を隠し

雷鳴のように突然動き、

部隊をわけて敵を陽動し

占領した要地は手分けして守備し、

権謀術数をつくして機動する。

 

武田信玄『風林火山』の元ネタ

武田信玄『風林火山』の元ネタ

 

ところで、この文章を読んで「おやっ?」と思いませんでしたか?

そうです。この一節は武田信玄が旗印としたとされる『風林火山』の元ネタなんです。

 

「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」

(疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、

侵掠(しんりゃく:おかしかすめる)すること火の如く、動かざること山の如し)

 

武田信玄が本当にこのような旗印を使っていたかどうかは定かではなく、

後世の創作である可能性が高いようですが、

もしかすると武田信玄は『孫子』を読んでいたのかもしれませんね。

 

 

敵を疲れさせ、消耗させ、気力を奪ってから戦う

 

こうして、自軍に翻弄されて敵が疲弊し、気力が衰えたところを攻撃することで、

味方の消耗は最小限に抑えることができます。

 

また、計略によって敵が混乱しているところで攻撃をしかければ、更に勝率アップ!!

そのためにはまず、敵の正確な情報をつかんでどっしりと構え、

自軍の兵士たちの気力と体力を充実させておくことが肝要……孫子はそう説いています。

 

ここでも、いかに被害を最小限に抑えて勝つことが大切か、

という孫子の変わることのない主張を読み取ることができます。

 

 

三国志ライター 石川克世の次回予告

石川克世

次回「はじめての孫子」は「九変篇」

臨機応変に対処する重要さはわかりました。

では、実際に行うためには何が必要でしょうか?

その辺のことを、孫子が解説していきます。

 

では、次回もまたお付き合いください。再見!!

 

次回記事:【はじめての孫子】第10回:九変の利に通ずる者は、兵を用うることを知る

 

はじめての孫子の兵法

 

 

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石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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