王濬(おうしゅん)は晋を代表する名将・羊祜(ようこ)に実力を認められた名将です。軍事としての才能だけではなく益州諸県の太守を歴任している時は、周辺の異民族を手なずけて帰順させます。また統治は善政をよく布いたことから民衆にも慕われた将軍です。三国志最後の国である呉を平定し、晋の天下統一に大きく貢献した名将・王濬を今回紹介していきたいと思います。
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行儀の悪い坊ちゃんだが、一念発揮し晋に仕える
王濬の家は代々太守を輩出する名家の子です。書物をたくさん読み広く知識を蓄えた青年期を送ります。王濬は勉学をしっかりと行っており、すぐに国に仕えるかと思いきやそうではありません。彼は品行に欠けていたため、郷里での評判が良くありませんでした。
大志を抱いたことで晋に仕える
しかし彼は大志を抱いたことで一念発揮し、今までの行いを改め晋に仕える事になります。彼は晋の名将である羊祜の部下として一生懸命働きます。羊祜は彼の働きぶりを観察し、有能な人材であることを認めます。王濬は羊祜の元で数年間働いた後、益州に転勤になります。益州では巴郡太守や広漢太守を歴任。彼は民衆に優しい政治を心がけ、慕われる事になります。また益州の異民族に対して、武力で従わせるのではなく、対話を行った事により、多くの異民族が帰順してくることになります。その後彼は益州で実績を上げ、益州の刺史に任命されます。
呉を討伐するため、大船団を建造
王濬は羊祜の推薦により、益州の軍事を司る益州諸軍事に任命されます。この時、司馬炎(しばえん)から呉を討伐するための大船を建造するように命じられます。彼は敵の攻撃を受けても沈まず、大勢の兵士が乗船可能な船の建造に没頭します。
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