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王濬はどうやって大船団を造ったの?
彼はまず木材の調達から開始します。大量の船を作るため、益州の各地にある祠を壊して付近に埋められていた木を伐採。ある程度の木材を確保しますが、呉を討伐する大船団を作るにはまだまだ足りないため、蜀の人が眠る墓に植えられていた木を買い占める事で木材を確保。王濬はこうして大量の木材を確保し、大船団の建造を開始します。完成した船は周囲160メートル。兵士は2000人ほど乗船でき、船の上甲板を壁で囲むことで、敵からの攻撃を防ぐ船が完成しました。この船を建造している時、木屑が長江へ流れ込み荊州にまで届いたそうです。
荊州は呉の領土で、魏の領土から流れ込む木屑を見て、呉の臣は皇帝である孫晧に「晋が大量の船を作っています。大量の船を建造し呉に侵攻するのではないでしょうか」と進言します。しかし孫晧(そんこう)は群臣の話を聞かず何の対策を打ちませんでした。
大船団を率いて呉討伐し三国時代に終止符を打つ
司馬炎は王濬から大船団が完成したと報告を受け、呉討伐戦の開始を決断。王濬は司馬炎の命令を受け取り、成都から、自ら建造した大船団を率いて出陣します。彼の水軍は物凄い威力を発揮し、長江沿いにある呉の城を数日で陥落させ、陸抗(りくこう)の息子である陸晏と陸景を捕縛し、処刑する大功を立てます。
王濬は呉の重要拠点を攻略
王濬は呉の重要拠点である武昌を攻略し、荊州方面の呉軍を掃討します。彼は荊州方面で「破竹の勢い」で有名な社預の指揮下に入り、各地の城を攻略しておりましたが、揚州に進軍すると王渾の指揮下に入り、揚州攻略を進めていきます。王渾は王濬に呉の首都である建業の攻撃を待つように通達します。しかし王濬は「強い追い風が船を後押ししているため、止める事は出来ない」と王渾の命令を無視して、建業へ進軍します。呉の皇帝である孫晧は晋軍の猛攻で呉の都市が次々と陥落させられ、首都建業にも晋の大船団が迫ってきていると報告を受け、晋に降伏する事を決意します。王濬の大船団の多大な活躍により、呉を討伐した晋は天下を統一。呉討伐戦で多大な功績を残した王濬に鎮軍大将軍の位を与えられ、彼の死後、呉の平定に活躍した事から司馬炎から「武」と諡(おくりな)されます。
三国志ライター黒田廉の独り言
最後に晋の将軍・王濬が益州刺史に任命される前に見た正夢の逸話を紹介したいと思います。ある日彼は「寝室の壁にかけていた三つの刀が四つに増える夢」を見ます。彼はこの夢を部下に相談すると「三つの刀は州の字で、もう一つ刀が加わる事はあなたが益州に君臨する事を意味している夢ですよ。おめでとうございます」と夢の内容を説明します。その後、益州の刺史が賊に殺されたため、王濬がその賊を討伐した事で、彼は益州の刺史に任命されます。彼は正夢を見る事で益州の刺史になることを予知しており、大げさに言えば三つの刀が四つに増えたのは呉が晋に加わることも予知していたのではないでしょうか。現実にその夢を見た後、呉を滅亡させ三国時代を終焉に迎えているのですから。