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青州黄巾賊襲来
鮑信は董卓連合軍から離れた後、済北の相に就任します。彼は就任間もなく最大の危機に見まわれます。青州黄巾賊が兗州に侵入してくるのです。青州黄巾賊は100万の人間を連れ、兗州の城を次々と陥落させていきます。兗州の刺史であった劉岱(りゅうたい)は出撃を決意。しかし鮑信は「出撃せず各地の群雄に援軍を仰いだ方がいいと思います」と提案します。劉岱は鮑信の意見を取り上げず、青州黄巾賊に向かって出撃します。劉岱軍は地を黒々と覆う青州黄巾賊の海に飲み込まれ、彼は帰らぬ人となってしまうのです。
親友曹操を兗州に迎え入れる
鮑信は兗州刺史劉岱が討ち死にした事を知り、東郡太守曹操を兗州に迎え入れようと画策。彼は同僚たちにこの計画を話すと皆は諸手を挙げて賛成します。皆の同意を得た鮑信は早速曹操の元に行き「兗州の牧になって、青州黄巾賊から兗州を守ってくれ」と提案。すると曹操は快く受け入れ、軍勢を率いて兗州に入ります。
自らの命を賭して曹操の退却路を作る
曹操は兗州の牧になるとすぐさま軍議を開きます。曹操は軍議で「青州黄巾賊は兗州刺史である劉岱を討ち取り勝ちに奢っているだろうから、伏兵を設けて迎撃して彼らの軍勢の先鋒を破ります。先鋒を破ったら追撃に追撃を重ねて、青州黄巾賊の軍勢を撃滅しようと思います。そのためには初戦の伏兵を設ける地を選定するため、私自ら偵察に行きたいと思う」と作戦の提案をします。鮑信が曹操の提案に賛成すると、軍議に参加した者達は全員賛成。鮑信と曹操は作戦が決定するとすぐに出撃します。曹操と鮑信は兗州の各地を周ってみた結果、寿張の地が伏兵を埋伏させるに相応しい地であることを確認。二人は寿張を偵察し帰ろうとした瞬間、いきなり青州黄巾賊の攻撃を受けます。鮑信と曹操は偵察であるため兵をあまり連れてきてはいませんでした。しかし曹操と鮑信はすぐに迎撃の態勢を整え、青州黄巾賊を迎え撃ちます。青州黄巾賊は数に物を言わせて猛攻をかけ、二人は苦戦状態に陥ります。
鮑信の最期
鮑信はこのままだと二人とも討ち死にしてしまうと考え、曹操に「私が退却路を作る。君は先に逃げてくれ。」と伝えます。曹操は鮑信の言葉に甘えて、命からがら退却します。鮑信はその後青州黄巾賊の猛攻を受け敗北し、亡くなってしまいます。
三国志ライター黒田廉の独り言
曹操は兗州の城に戻るとすぐさま出陣し、青州黄巾賊を猛追撃し、降伏させます。この時青州黄巾賊は兵士30万、非戦闘員100万と言う膨大な人数が降伏します。曹操は青州黄巾賊を降伏させた後、鮑信の遺体を探し求めますが、見つかりませんでした。彼は大いに悲しみ、鮑信の姿を木彫りで作り、葬儀を行いました。曹操は鮑信が居なければ青州黄巾賊に敗れ、三国時代の魏は存在していなかったかもしれません。また青州黄巾賊を降し、兵力を増大させ、各地の群雄から一歩抜きんでる事が出来たのも鮑信のおかげと言っても過言ではありません。
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