曹操(そうそう)は戦の中で命の危険に幾度となく遭遇し、その都度彼の家臣である典韋(てんい)や許褚(きょちょ)などの武将に助けてもらっています。家臣に迷惑ばかりかけている曹操は、家臣の他にも自らの命の危機を助けてもらった事がありました。曹操を救い出した人物の名は鮑信(ほうしん)といいます。彼は曹操が挙兵した当初からの知り合いで、曹操の数少ない友達の一人であり、曹操ファンの一人でありました。
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名門である鮑家の出身
鮑信の家は代々高官に就き、儒学者として有名な家系でした。鮑信は若いころから「節義があり、冷静沈着で智謀に富んだ人」と周りから高い評価を受けておりました。そんな彼は漢の霊帝(れいてい)の時代に出仕して、騎都尉の位を与えられ、漢の大将軍である何進の部下として仕える事になります。
宦官一掃作戦に乗り遅れる
何進(かしん)は漢の朝廷で権力を持っている宦官を一掃するため、諸侯に協力を仰ぎます。鮑信は何進に「地元に帰って兵士を集めるように」と命令を受けます。彼は地元に帰郷し、数千の兵士を募兵。兵士達と共に洛陽へ赴きます。しかし、洛陽に戻る途中で何進が宦官達によって殺害された事を聞きます。鮑信は朝廷の現状を知るため、いったん軍勢を解散させ洛陽へ向かいます。彼は洛陽に到着すると、董卓(とうたく)が自ら連れて来た兵力を背景に朝廷の権力を掌握しておりました。彼はこの現状を見て危機感を募らせます。
董卓の反乱を予見
鮑信は群雄の中で一番力を持っていた名門出身の袁紹(えんしょう)に「董卓は必ず漢王朝に反乱を起こします。今ならば連れて来た兵力が少なく、遠い所からきた兵士は疲労がたまっているだろうから、彼を討つのは容易だと思います。董卓を殺して名を挙げるなら今が絶好のチャンスです。」と提案します。しかし若い時から優柔不断な袁紹は鮑信の提案に従いませんでした。彼は袁紹の煮え切らない態度に怒って帰郷。帰郷後は自らの兵力を訓練して、董卓の反乱に備えます。
曹操と親交を結ぶ
董卓は漢王朝の政権を自らの思うままに政治を動かします。董卓が漢の政治を取り仕切っていることに不満を覚えた各地の諸侯は、袁紹を盟主に据えて連合軍を結成します。鮑信も地元で兵士を集めて連合軍に参加。彼はこの時、背の小さい男と出会います。その人物こそ後に三国志の覇者となる曹操です。この時はまだ兵士の数も少なく、諸侯の一人でした。鮑信は曹操と語り、意気投合します。鮑信は何度か曹操と語り合ううちに彼の魅力に取りつかれファンになります。彼はある日曹操に対して「君は優れた才能を持ち、各地の群雄を統率して乱を平定し、この国の本来あるべき姿に戻すことができる唯一の人材である。」とべた褒めします。こんなに褒められたら曹操も嫌な気はせず、彼との友情を育んでいきます。
董卓軍の徐栄に敗北
鮑信と曹操の二人は董卓を討伐する連合軍に加わり、各地で董卓軍と激闘を繰り広げ勝利を重ねていきます。快進撃を続ける二人の前に董卓軍の武将である徐栄(じょえい)が卞水のほとりで陣を敷いて待ち構えていました。鮑信軍と曹操軍は連合して徐栄軍とぶつかり、激闘を繰り広げます。鮑信と曹操は必死に戦いますが敗れて退却。鮑信は退却戦の時に弟を討ち取られてしまい、曹操は矢傷を負う程の大敗北し、二人はその後自らの領地に戻ります。
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