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誰もやらない皇帝殺害を指示
司馬家は魏の政権内で皇帝を凌ぐ権力を持ちます。魏の皇帝である曹髦(そうぼう)は司馬家が握っている権力を魏の政権に取り戻すため、司馬昭討伐の兵を挙げます。司馬昭の弟である司馬伷(しばちゅう)は曹髦軍を迎撃します。
曹髦は司馬伷の軍勢を見ると「我は帝である。そこをどけ‼」と一喝。すると司馬伷の軍勢は退却してしまいます。賈充は成済(せいせい)らを率いて曹髦軍を迎撃。皇帝である曹髦は剣をふるいながら一喝。すると兵士達は怯えてしまい反撃を止めてしまいます。成済は賈充に「どうすればいいでしょうか」と尋ねます。
すると賈充は「何をしているのだ。さっさと殺して反乱を鎮圧せよ。君たちは罪を被ることはない。安心せよ。」と伝え、皇帝を殺すように指示を出します。
成済は皇帝殺しの罪が無いとわかると曹髦軍に突撃し、皇帝である曹髦を殺害します。賈充は皇帝殺しを指示したとして、魏の群臣から軽蔑の眼差しを向けられることに。しかし彼が皇帝殺しを指示した事で司馬家に敵対する勢力はいなくなります。
天子を補佐した臣下に選ばれる
司馬昭が亡くなると長男である司馬炎(しばえん)が司馬家の棟梁となります。その後司馬炎は魏の皇帝曹奐から帝位を禅譲され、帝位に就きます。賈充は建国の立役者「佐命の功臣」として選ばれ車騎将軍に就任します。彼は社預(とよ)や羊祜(ようこ)、荀彧の息子である荀顗(じゅんぎ)らと共に晋の法律「泰始律令」の制定を手掛けます。
死後の評価を気にする
賈充は晋の建国の立役者として位人臣を極めますが、自らが生前に行ってきた所業を顧みると死後に贈られる諡(おくりな=死後に贈られる称号)が気になり始めます。賈充は甥の賈模(こぼ)に「おれさ、生きている間に悪いこといっぱいやってきたからさ、死んだあといい諡貰えないかな。」と相談します。賈模は「いい諡がもらえるか分かりませんが、おじさんが生前行った事の是非は自然に明らかになり、隠せるものではないでしょう。」と答えます。
諡は「武」に決定
司馬炎は賈充が亡くなると諡をどうすればいいか家臣に相談します。ある家臣は賈充の生前の悪行を考慮し「荒」を提案します。「荒」には楽しみばかりを追求し、国の根源を乱したとの意味があるそうです。司馬炎はこの提案を却下し、他の家臣が提案した「武」諡(おくりな)に決定し、賈充に贈与します。
三国志ライター黒田廉の独り言
晋建国に大いに貢献した賈充。新たな国を誕生させた功臣として位人臣を極めますが、反面皇帝殺しなど司馬家の地位を確立するためあくどい事も平然とやってのけた悪逆非道の臣としての名も同時に刻んだ彼。新たな国家を作るためには人には言えない事を平然とやってのける人物は必要なのかもしれませんね。