「安心して下さい、全裸ですよ!」でお馴染みの三国志一のストリーキング、禰衡(でいこう)ですが、三国志には禰衡以外にも、あの曹植(そうしょく)も裸踊りをしたという逸話がある事が判明しました。ああ、可哀想な曹植、帝位を兄に奪われて、ヤケになったのでしょうか?
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この記事の目次
それは西暦208年に起った
西暦208年、曹操軍は荊州の劉琮(りゅうそう)を無条件降伏させて、荊州を領有します。この荊州には、邯鄲淳(かんたんじゅん)という当時でさえ、80歳を越えていた老学者がいました。邯鄲淳は、博覧強記で書に巧みであり、かつ高名な儒学者でもあったので、曹丕(そうひ)と曹植が是非自分の配下に欲しいと手を上げます。
邯鄲淳は、一度、曹丕の元へ しかし曹植は諦めない
曹操は、曹丕と曹植の両者を較べて、曹丕に邯鄲淳を与える事にします。大喜びする曹丕ですが、曹植は納得しません。
曹植「父上、お願いです、一度、邯鄲淳先生に会わせて下さい、この通りです」
曹植は、泣いて曹操に頼んだので、可哀想になった曹操は曹丕に話をつけて一日、邯鄲淳を借りて、曹植の元へ派遣しました。
邯鄲淳、無言、その重苦しさで曹植がとった衝撃の行動
邯鄲淳は、曹植に面会したものの、むっすりと黙っていて、何も言いません。曹植は、その沈黙にテンパったのか、いきなり服を脱ぎ出しました。
曹植「いやあ、先生、今日は暑いですねえ」
曹植は、こうして裸になると、従者に水を持ってこさせて、いきなり、体を洗いはじめたのです。
まあ、現代でも、先輩芸人に、いきなり何かやれ!と言われて、テンパってしまい、とりあえず全裸になる若手芸人は多いそうですが、曹植もそうなってしまったのか!
もちろん、儒教において、人前で裸になるのは、とんでもないマナー違反です。ましてや、年長者の前となっては全くの論外でした。それでも邯鄲淳は、むすっと押し黙り、何も言いませんでした。
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