盧綰(ろわん)とはどんな人?劉邦の親友でもあり辛苦を共にした男




盧綰(ろわん)

 

盧綰(ろわん)は劉邦(りゅうほう)と同じ村で生まれます。

生まれた場所が同じだけでなく、同年同月同日生まれの人物です。

そのため劉邦が挙兵した際には真っ先に駆けつけます。

その後も劉邦と共に各地を転戦し、辛い時や危機的状況に陥った際には

常に側にいて彼を励まし続けた人です。

しかし天下統一後、劉邦の疑心暗鬼の標的にされ、無残な最期を迎える事になります。

 

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同年同月同日生まれの親友

同年同月同日生まれの親友な劉邦

 

盧綰の父と劉邦の父も親友として非常に深い絆で結ばれていました。

その二人に同年同月同日に息子が生れ、二人は喜びます。

その二人とは盧綰と劉邦です。

彼らは父親同士が親友である事から、盧綰と劉邦は兄弟のようにして

育てられます。

劉邦の挙兵に従い行動を共にする

劉邦 ヤンキー

 

劉邦は始皇帝の墓を建設する労働者たちを送るため、驪山へ向けて出発します。

しかし劉邦が途中で逃げ出したと盧綰の耳に入ってきます。

すると彼は劉邦の居場所を突き止め、行動を共にします。

劉邦は陳勝・呉広の乱に乗じて、生まれ故郷である沛県を占領し、

ついに独立を果たします。

 

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劉邦が信頼を置いた友人

劉邦おんぶ 優秀な人材

 

盧綰は劉邦と共に各地を転戦。

彼は前線で戦闘を行う現場指揮官ではなく、常に劉邦の側にいて時には愚痴を聞き、

またある時は劉邦に助言などを行うなど相談役を担っておりました。

劉邦はそんな彼を非常に信頼しており、軍師張良や劉邦を影から支えた簫何でさえ、

彼の寝室に入る事を許されておりませんでした。

しかし盧綰だけはいつでも彼の寝室に入る事を許されていました。

この事から劉邦は彼を非常に信頼していた証左だと思われます。

 

時空を越えた最強の将軍対決
呂布対項羽

 

別働隊を率いて、項羽の領地を削り取る

項羽 はじめての三国志002

 

項羽(こうう)と劉邦の戦いが激化すると盧綰は自ら名乗り出て、

別働隊を率いて出陣します。

盧綰が軍を率いて出陣したのはこの時が初でしたが、一緒に出陣した劉賈(りゅうか)

と共に楚の領地を削り取っていきます。

この別働隊が活躍した事と彭越(ほうえつ)のゲリラ戦法によって楚軍の兵糧は激減。

この事がきっかけで項羽(こうう)は劉邦と和睦します。

しかし劉邦は彼との盟約を破棄して、退却する項羽を追撃。

ついに垓下の戦いで項羽軍に大勝利します。

この戦いの後項羽は江南近くの鳥江(うこう)のほとりで自害します。

こうして漢が天下を統一します。

 

各地の王を討伐

劉邦

 

劉邦は天下統一を果たし、諸侯を王に任命します。

しかし、各地の王は劉邦から謀反の疑いをかけられ、反乱を起こします。

大尉(軍事担当の最高位)となった盧綰は反乱を起こした臨江王共尉(きょうい)を

劉賈(りゅうか)と共に討伐。

その後燕王臧茶(ぞうと)が反乱を起こしたため、すぐに討伐へ向かい、反乱を

鎮圧します。

 

燕王盧綰の誕生

劉邦 竹 冠

 

劉邦は親友である盧綰を燕王に任命する為、諸将に燕王に相応しい人物を

推挙するよう命じます。

諸将は劉邦の意図が分かっていたため、こぞって盧綰を燕王に推挙。

こうして盧綰は諸将の推挙を得た事で、燕王に任命されます。

しかしこの燕王の位に就いた時から彼の運命は急転します。

 

代王陳豨(ちんき)の反乱

 

盧綰が支配する燕の隣にある代の地で陳豨(ちんき)が反乱を起こします。

劉邦は燕王となった盧綰に援軍を依頼。

盧綰は劉邦の依頼を受けすぐさま援軍を派遣します。

こうしてすぐに反乱は片付くと思われていましたが、

匈奴軍が陳豨へ援軍を派遣したため、そう簡単には反乱は鎮圧されませんでした。

そこで盧綰は部下を匈奴の単于の元へ派遣し、陳豨の反乱が間もなく

漢軍に鎮圧される事を説きます。

しかし以前反乱を起こした臧茶の息子である臧衍(ぞうえん)は盧綰の使者に

「燕が現在生き延びていられるのは諸侯が反乱を起こしているからです。

反乱がすべて鎮圧されれば、次の標的は燕になりますぞ」と説得。

この言葉を聞いた盧綰の使者は匈奴説得を辞め、帰国します。

こうして陳豨の反乱鎮圧に長い年月がかかる事になります。

 

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劉邦から謀反を疑われる

陳平 劉邦

 

劉邦と盧綰は陳豨の反乱を数年かけて鎮圧します。

この時陳豨の部下は燕王盧綰と匈奴が密約を交わした事や陳豨の反乱鎮圧戦で

なれ合いの戦を行い、反乱鎮圧を本気で行っていなかったことなどを

劉邦に話します。

この話しを聞いた劉邦は激怒し、盧綰討伐の軍勢を差し向けます。

しかし盧綰は部下達に「陛下は病のせいで気がおかしくなっているだけだ。

病が回復し、わしが謝れば許してくれるであろう」と言います。

しかし劉邦はこの年の夏に没し、弁明の機会は永久に失われます。

その後劉邦の息子劉盈(りゅうえい)が二代目皇帝となり、後見役として

呂雉が皇后として権力を握ります。

盧綰は諸侯を滅ぼすことに積極的な呂雉が後見役となった事に絶望し、

匈奴へ亡命します。

匈奴の単于は盧綰の亡命を喜び、彼を王に任命します。

匈奴の王になった盧綰は任命から一年後、失意の内に亡くなってしまいます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

劉邦の幼馴染で王に登れた盧綰。

彼は劉邦を絶大に信頼し、劉邦も彼の事を信頼していたのですが、

盧綰が燕王となった事で二人の強固な絆に亀裂が入ります。

人はどんなに強い信頼関係を保っていたとしても、権力や富、名声を

手に入れてしまうと、人は変わってしまう事をこの二人が教えてくれます。

皆さんはこの二人を教訓にして、権力や富、名声を手に入れたとしても

今まで通りの人付き合いをしてくださいね。

「今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~」

 

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【劉邦 vs 項羽】
楚漢戦争

 

 

 




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