三国志の時代、一般の人の識字率は、とても低く文字が書けて
読める人は、たいてい、役人になれる士大夫の階級に限られました。
もちろん、この士大夫には、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)や、
孫権(そんけん)、陸遜(りくそん)のような人々が含まれますが、
彼らが職務を行うにあたって、常に手元においていた
七つ道具があったのを知っていますか?
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一つ欠けても仕事にならない?三国志の時代の七つ道具
中国人は、古来より一族の埋葬に、お金と時間を掛けてきました。
死者は、あの世でも、現世と同じような生活を続けるとも、
考えられた事から、生前に故人が使用していた日用品も、
副葬品として墓に入れるという事もしています。
その為に、役人として仕事をしていた人々が日頃使用していた
七つ道具も、盗掘を免れ、そのまま残っていたりするです。
三国時代のビジネスバッグ 柳行李(やなぎこうり)
現在のビジネスバッグにあたるものは、柳行李でした。
これは竹で編んだ箱で通気性がよく軽いので、4000年以上前から
存在し、現在の柳行李と殆ど違いがありません。
三国志の時代の役人は、この竹細工の箱を布で包んで
持ち運んでいたのです。
今でいえば、手帳、牘(とく)
(写真引用元:http://www.9610.com)
七つ道具の第一は、長さ23センチの木の板で牘と言います。
当時の23センチは、一尺なので、これを尺牘(せきとく)とも言いました。
今日でも、手紙を古来の言葉で尺牘というのは、ここに由来します。
当時の役人は、この牘の裏表をすべて使用しました。
文字を書くのに絶対必要な筆
文字を書けるというのが役人の絶対条件ですから、当然、筆は持っています。
今から1800年前の筆は既に完成されていて、今と較べても遜色ありません。
やはり、使いやすい筆というのはあったようで、手になじんだ筆は、
専用の袋に入れて、傷まないように大事にしていました。
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