第2Roundを終えたところで、
両者一勝一敗で熱い戦いを繰り広げております。
さて第3Roundはどちらが悲劇的な最期を迎えた対決です。
先行は岳飛(がくひ)さんからいきたいと思います。
前回記事:【神になった名将対決】劉備三兄弟の一人関羽VS救国の英雄・岳飛 Part.1
前回記事:【神になった名将対決】劉備三兄弟の一人関羽VS救国の英雄・岳飛 Part.2
この記事の目次
必死に南宋を守る
岳飛は自前の兵で金軍から南宋を守ります。
彼は自分を盾にして、幾度も金軍を破ります。
彼は積極的に攻勢に出て、漢の土地から金国を追い出そうと思っておりました。
しかし南宋の宰相・秦檜は岳飛と反対の事を考えておりました。
金との講和を考える宰相
秦檜は戦で金と決着を着けようと思っておりませんでした。
なぜ彼は講和を考えたのでしょうか。
私が考えた理由は二つです。
金と講和を考えた理由:その1
理由の一つ目として考えられるのは
南宋が建国してまだ間もないのに関わらず、
金に国土を蹂躙されたことに原因があると思います。
南宋は金に国土を蹂躙され、国土の回復に専念する間もないまま、
岳飛を筆頭に金軍と連戦。
そのため、民は軍事費を捻出するため、
かなり重い税をかけられていたに違いありません。
そのため彼は金国と講和を行い、国土を南北に分け、
国力回復と増強に努めようと考えていたのではないでしょうか。
金国との講和を考えていた理由:その2
金国との講和を考えていた理由その2としては南宋皇帝の強い意向がありました。
当時の宋の皇帝であった徽宗(きそう)は宋が金に滅ぼされた時、
捕虜となり北に連行されてしまいます。
そして南宋皇帝の実母も共に北へ連れていかれます。
南宋皇帝は父徽宗がすでに亡くなっていた事を知り、
母がまだ健在で女真の地で生活していることを聞くと、
宰相である秦檜に「朕(ちん) は亡き父と母を取り戻したい。
そのためには金と講和を早く行うべし。」と秦檜に命じます。
上記の2つの理由から秦檜は岳飛を筆頭に金との戦で連勝を重ねるも
金と講和に踏み切ろうとしていたのではないのでしょうか。
常勝将軍、無罪の罪で亡くなる
岳飛は連戦連勝で南宋の主戦派からの支持を集めておりました。
しかし岳飛が連戦連勝を重ねることで、主戦派の勢いが強くなるため、
金との講和が遠のいていきます。
秦檜は主戦派筆頭の岳飛に無罪の罪を着せて殺害。
その息子である岳雲(がくうん)も処断。
そして岳飛の軍閥を解体します。
主戦派筆頭であった岳飛がいなくなったことで、
主戦派の将軍や文官の声が一気になくなり、朝廷は和平派が多数を占めることになります。
岳飛の最後
岳飛は処断される前、激しい拷問を受けていたそうです。
彼はその拷問に耐え、秦檜に対して反論をしなかったそうです。
処断されると決まった時も黙ってその結果を受け入れます。
彼の心の中は怒りと悔しさで震えていたでしょうが、
その心の表情を表面に出さず最後の時を迎えたそうです。
第3Round:どちらが悲劇的な最期を迎えた【関羽編】
岳飛は非常に悲惨な最期を迎えているわけですが、
蜀の忠臣関羽はどのような最期を迎えているのでしょう。
同盟国に裏切られる
関羽は劉備が漢中王になった後、魏の領土である北荊州に侵攻を開始。
彼は水陸両用で魏の荊州の中心地である樊城(はんじょう)を包囲します。
その後樊城を救援に来た魏の援軍を撃退し、樊城を陥落寸前にまで追い詰めます。
そんな関羽に大事件が発生します。
その大事件とは呉が裏切り、南荊州のほぼ全域を手中に収めたと報告されます。
関羽はこの事件を聞き、大急ぎで軍を引き返します。
呉が同盟を破棄した理由
なぜ孫権が劉備との同盟を破棄したのでしょうか。
その最大の理由は荊州奪取と魏との同盟です。
孫権は劉備との同盟を破棄した場合、単独で両国と戦わなければなりません。
呉にはそんな国力がないため、劉備との同盟を破棄することはできませんでした。
しかしそんな彼の荊州を領地にする夢をかなえる絶好のチャンスが巡ってきます。
魏の曹操が同盟を持ち掛けてきます。
孫権は魏からの誘いに喜び、すぐに魏との同盟に応じます。
彼は荊州に侵攻するため、呂蒙を都督に任命し、荊州へ侵攻させます。
この理由から孫権は劉備との同盟を破棄し、荊州を奪取。
そして関羽を討伐するため軍をすすめます。
追い詰められた忠臣
関羽は樊城の包囲を解いた後、すぐに軍を南下させます。
兵士達は自らの領地が呉に奪われたことを知り、脱走。
こうして関羽は南荊州の江陵と北荊州の樊城の中間に
ある麦城(ばくじょう)に着くころには兵士の数は激減。
関羽は途方に暮れます。
そんな時、麦城に呉の使者がやってきます。
関羽の最後策
麦城に来た呉の使者は関羽に「関羽殿。南荊州はすべて呉の物になりました。
われらと敵対することをやめ、降伏するべきではないでしょうか。」と
降伏を促します。
関羽は呉の申し入れを受け入れます。
ですが彼は呉に降伏するつもりはなく、夜中に麦城を抜け、益州に逃げるつもりでした。
関羽の策が看破される
関羽は夜中、息子の関平と少ない従者を連れて、麦城を抜け出し、
益州へ向けて馬を走らせます。
しかし呉の都督呂蒙は関羽が麦城を逃げ出すと思っていた為、
呉の諸将に警戒を怠らないよう命令を出しておりました。
呉の潘璋(はんしょう)は関羽が必ず益州に逃げ込むと予測し、
麦城から益州へ入る道に陣を取り、彼が来るのを待ち受けておりました。
そして関羽の一団らしき軍が通るとすぐに追撃を開始し、彼を捕縛。
関羽は呉の諸将の前で、処断されることになります。
蜀の忠臣であった関羽の首は曹操の元に送られ、
諸侯の扱いを受けて葬られることになります。
第3Round:結果発表
最終Roundが終了しました。
両将とも非常に無念な最期を迎えておりました。
そして結果発表を行いたいと思います。
結果は…
岳飛の勝利にしたいと思います。
岳飛勝利の要因
関羽が呉に裏切られた原因は少なからず関羽自身によるところもあります。
関羽の娘と孫権の息子との縁談を劉備に相談せず、勝手に断ったり、
部下に題して厳しい要求をしたりしていた事も荊州を失った原因です。
ですが岳飛は金と戦い、漢土回復をもくろんでいたのにも関わらず、
無実の罪を着せられて殺害されております。
さらに彼は裏切られたのにも関わらず、南宋や宰相の悪口を一言も言わず、
亡くなっております。
彼の悔しさと男らしさ、そして一生懸命戦っていたのに、
味方から裏切られてしまう悲劇さ。
これらが関羽の最後より勝っていた為、岳飛に軍配を挙げさせていただきました。
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三国志ライター黒田廉の独り言
今回は世紀を超え、神になった名将対決をおこないました。
彼らはまさに名将にふさわしい戦いを見せてくれました。
また二人とも神様に選定されていることから、後世にまでその名は轟き
今なお彼らの名前は人々の間で知られております。
さて勝者となった岳飛には特集を組ませていただきたいと思います。
「今回の神になった名将対決はここまでにゃ。
次回もまたはじさんでお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」
写真引用元:岳飛伝チャンネル銀河
写真引用元:BS JAPAN 岳飛伝