曹操は反董卓連合軍解散後、
青州黄巾賊の攻撃によって亡くなった劉岱(りゅうたい)の
後任として兗州に迎え入れられます。
その後曹操は兗州に侵攻してきた青州黄巾賊との戦に備えるため、
籠城の準備を行います。
ここが違う!!正史三国志と蒼天航路の違い
正史三国志ですと曹操は籠城策を用いらず、青州黄巾賊と野外で戦っております。
彼は籠城しても勝ち目がないと思い、
奇襲や奇策を用いて青州黄巾賊を翻弄しながら各地で撃破。
こうして幾度も青州黄巾賊と戦いながら連勝し、ついに彼は青州黄巾賊を配下に加え、
ここから魏武の強が始まります。
青州黄巾賊との激闘
青州黄巾賊の指導者達は、曹操が籠る城に兵糧がたくさん集積されていることを知り、
昼夜を分かたず猛攻を開始。
曹操は青州黄巾賊の攻撃に対して火計や落石、雨のように大量の矢を射かけ応戦。
青州黄巾賊の兵士達は叫び声さえ上げず、
黄巾賊の合言葉である「中黄太乙(ちゅうこうたいいつ)」と
叫びながら城門を登ってきます。
そして彼らの猛攻が城壁の一部を崩し、城内に侵入を開始。
城壁を守っていた曹操の親友である鮑信(ほうしん)は自ら崩れた城壁に降り、
黄巾賊と必死の応戦を行います。
曹操は城壁が崩れた場合も想定に入れており、
崩れた城壁に土嚢(どのう)を素早く積み上げ、城壁を修復。
この時鮑信は黄巾賊の刃に倒れ亡くなってしまいます。
青州黄巾賊の降伏と魏武の強
青州黄巾賊の指導者達は曹操の元に自ら姿を現し、曹操に降伏勧告を行います。
しかし曹操は青州黄巾賊の指導者達に「中黄太乙すべてを引き受ける」と宣言。
ついでに中黄太乙とは青州黄巾賊のことです。
そして彼は城門を開け、指導者達と契約を交わします。
その契約とは「黄巾の教えを奪ったり、
青州兵の家族や兵らに危害を加えないこと」です。
青州黄巾賊の指導者達は曹操との契約が成立すると、
青州黄巾賊の人々に「曹操に従うように」と遺言を残し自害。
曹操はその後、青州黄巾賊の中から精鋭を選んで兵とし、
彼らの家族を受け入れます。
こうして曹操は膨大な兵力を受け入れ、群雄として一歩抜きんでる存在となり、
魏武の強はここから始まる事になります。
雌伏が続く三兄弟
さてここで曹操から少し目を離し、
三国志のもう一人の主人公である劉備に着目したいと思います。
彼は幽州(ゆうしゅう)の実家で、関羽と張飛の二人と義兄弟の契りを交わした後、
黄巾の乱に義勇軍を集めて参加したり、
学友である公孫讃(こうそんさん)に付き従って反董卓連合軍に加わります。
しかし天下に名を現すほどの活躍がありませんでした。
そんなある日公孫讃に従って、界境(かいきょう)の戦いに従軍。
この時、綺麗な顔立ちのした冀州(きしゅう)の武人・趙雲が公孫讃の仲間に加わります。
彼は自らの武勇を見せるため、一騎で袁紹軍に突撃すると、
袁紹軍の将軍である麴義(きくぎ)を一刀両断にし、討ち取ります。
その後公孫讃の軍勢は退却。
この戦いでも劉備は活躍する事はありませんでした。
彼が天下にその名を現すのはまだもう少し先になります。
怒りに身を任せ、徐州へ進撃
曹操は青州黄巾賊を手に入れ、勢力が増強されます。
そんな中、彼の元に父が殺害されたと急報が入ります。
彼は冷静にその急報に対応しますが、怒りをその身に潜め、徐州進撃を決意。
曹操の軍師である陳宮は反対しますが、彼は陳宮の反対意見を封殺し、出陣します。
曹操は徐州へ侵攻すると、各地の村を焼き、村に住む住人をすべて殺害。
また鶏や犬なども殺害し、徐州近辺を流れる泗水が村の住人や動物達の死体で、
せき止められる程でした。
こうした事態に徐州の牧である陶謙は各地の群雄に援軍要請を行います。
青州で博打をしていた劉備の元にも公孫讃から陶謙に援軍として赴くよう要請が来ます。
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