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KOEI 三國志の産みの親!襟川陽一はココが凄い!シブサワ・コウの意外な側面6連発

2016年5月21日


 

これまで、ほとんど馴染みが無かった中国春秋戦国時代に光を当てて、

空前の大ヒット漫画にした、原泰久先生。中年層の読み物と横山光輝三国志しか

無かった中国古典三国志をゲーム化して、老若男女すべての層に三国志を広く普及させた

シブサワ・コウこと、襟川陽一氏。

 

 

新旧二人の歴史の達人が、5月28日(土)

Eテレ SWITCHインタビュー 達人達(たち)「原泰久×シブサワ・コウ」で

ついに対談します。

 

それぞれ一時代を築いてきた両者が、どんな事を語るのか楽しみですが、

はじさんでは、その予備知識として、二人がいかに凄いか、

その凄いポイントを分かりやすく紹介していこうと思います。

第二回の今回は、大ヒット歴史SLG 三國志を世に送り出した。

シブサワ・コウこと、襟川陽一さんの紹介です。

 

第1回記事:【徹底分析】キングダムを書いた原泰久はココが凄い!原先生の意外な側面10連発

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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凄1 子供の頃から歴史が大好きだった!

 

襟川陽一さんは、1950年、10月26日、栃木県生まれです。

流石に歴史シュミレーションゲームを後年造るだけあり、

少年時代から歴史が好きで、日本の歴史小説家、山岡荘八や、

司馬遼太郎の本をよく読んでいたそうです。

どうして、襟川さんが歴史小説が好きなのか?というと、

小説を通して、本当にその時代の登場人物になったような気がして

わくわくするからとの事で、このわくわく感は、後に、

歴史SLG三國志を造った時に絶対表現したいと考えた要素でした。

三國志に没頭した時に感じる、あの武将達と共に時代を動かしている感は、

襟川氏のわくわく感を体現したものなのです。

 

 

凄2 なんと!元々はプログラマーじゃなかった?

 

三國志や信長の野望などの歴史SLGで有名な襟川さんですが、

彼自身は、慶応大学の商学部出身の完全な文系の人で、

元々は、プログラマーでもなんでもありませんでした。

 

そして、襟川さんの実家は、コンピュータとは何の関係もない、

染料工業薬品の会社を営んでいたのです。

 

しかし、会社は安い東南アジアからの繊維の輸入で斜陽になり、

店は苦境に追い込まれ残務整理に追われるようになります。

 

凄3 運命を変えたマイコンとの出会い!!

 

そんな父の会社を継いだ襟川氏ですが、仕事は振るわず、

今後の事を考えて悩み、本屋に行っては、松下幸之助や、

稲盛和夫のような経営者の本を読んでいた所、

偶然に目に入ったのがマイコンという雑誌でした。

 

まだパソコンですらないマイコンですが、これを使えば、

コンピュータソフトで社員教育が出来たり、会社のOA 化が出来るなど

夢のような話が沢山書いてあり、襟川さんは、「これだ!」と思ったそうです。

 

普通の人なら、「調子いい事書きやがって・・」とか疑いそうですが、

襟川さんは、本に書いてある事を信じちゃったんですね。

 

ところが当時のマイコンは贅沢品で、一揃い揃えるのに40万円です。

今の貨幣価値だと、120万円にはなります、軽自動車買えますね・・

 

会社が斜陽の襟川さんには、とても手が出ない金額でした。

ですが、その様子を見ていた奥さんが、御自身の貯金から

40万円出して襟川さんに、マイコンをプレゼントします。

 

襟川さんは、大喜びで、それから夢中でコンピュータ言語を覚え、

表計算ソフトやOAソフトを自作するようになります。

こうして、プログラムとは無縁だった襟川さんと、

コンピュータが結びつく事になるのです。

 

凄4 仕事の息抜きで造ったSLG「川中島の合戦」が大当たり!

 

当時は、現在と違い、ビジネスソフトが市販されている時代ではありません。

必要なソフトは、各自で自作していた時代だったのです。

しかし、当然、それはコンピュータ言語が分からないと造れないので、

自然、当時、小さなマイコンショップを経営し始めた襟川さんの所に、

会計やOA用の ビジネスソフトを造ってくれるように

企業から注文が舞い込むようになります。

 

傾いていた会社も、このビジネスソフトの制作で何とかやっていける

目途がついたのですが、忙しいビジネスソフト制作の合間に、

襟川さんは、自作の戦国シュミレーションゲームをプログラムして、

息抜きに遊んでいました。

プログラムの仕事の息抜きなら、パソコンから離れそうですが、

そうではなく、さらに自分がプログラムしたソフトで遊ぶというのが

凄いですが、、そこで襟川さんが遊んでいたのが、

自分でプログラムを組んだ、川中島の合戦でした。

 

これは、プレイヤーが武田信玄になって、ライバル上杉謙信と川中島で

戦うというゲームなんですが、襟川さんは、これが我ながら面白かったので

試しに、通信販売してみた所、注文が殺到して1万本も売れたそうです。

当時3500円のソフトが、1万本ですから、3500万円!の売り上げ、

 

本業のビジネスソフトより、遊びで造った川中島の合戦が売れたので、

襟川さんは、家業の染料工業薬品の仕事を畳んで、ゲームソフトの会社として

光栄マイコンシステムの屋号でスタートを切る事になります。

 

凄5 経営と戦術、二つの画面を切り替えて進む画期的な信長の野望

 

1983年、光栄マイコンシステムが発売したのが、

現在もバージョン更新を繰り返しながら、進化している

「信長の野望」シリーズです。

 

当時は、HEX 画面での将棋のような戦術ゲームは存在しましたが、

信長の野望は、これに領国経営という要素をプラスしました。

そして、ゲームは、内政によって、石高、商業値、民の忠誠度を上げて、

兵力を増強し、国力がついたら、戦術画面で周辺国に攻め込んで

領地を広げるという、二つの要素の切り替えで進むようになっています。

 

当時としては、戦術ゲームに経営要素を組み込んだゲームはなく、

斬新なシステムとして飛ぶように売れます。

 

また、大名の能力に数値を使ったのも光栄が初めてで、

そのヒントは昔、ハマって遊んでいたボードゲームにあったとの事です。

確かに、ボードゲームは、マイキャラに数字でパラメータを書きこみ

サイコロの目で、様々なイベントの判定をしますが、

その経験が、信長の野望の大名のパラメーター数値になったんですね。

 

凄6 経営・戦術に人間ドラマを加えた金字塔 三國志

 

信長の野望は、最初、織田信長と武田信玄しか選べませんでしたが、

やがて、「故郷の大名で天下を統一したい」という声が寄せられ、

それに応える形で「信長の野望全国版」が制作され、北海道から、

鹿児島まで、ほぼ全県の大名で天下統一を目指せるようになります。

 

しかし、この頃には、まだ武将という概念はなく、

登場するのは、大名ばかりでした。

 

1985年、いよいよ、光栄から、三国志が制作されます。

 

このゲームの画期的な事は「武将」というシステムが登場した事です。

それはもちろん、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、

張飛(ちょうひ)周瑜(しゅうゆ)というような、

三国志の個性豊かな登場人物の事を意味しています。

 

それまでのSLG ゲームは、プレイヤーの分身であるキャラクターと、

敵との一対一の戦いでした。

 

しかし、光栄の三國志は、ここに、武力、知力、カリスマ、健康、

というような多彩なパラメーターを持った武将達を登場させたのです。

そして、戦争で敵武将を捕虜にして登用したり、計略で引き抜いたりし

より優秀な武将を多く獲得した方が、戦略も戦術も優位に立ち、

天下統一に近づくというシステムが出来上がります。

 

そればかりでなく、武将にはマスクデータとして義理堅さや、

裏切りやすさなどの様々な特性が加えられます。

そして、時代が進むと武将が寿命で死ぬなど、

人間の人生のような儚さまで表現される事になります。

これにより、それぞれの武将の個性が浮き立ち、

ただのコマではない血の通ったキャラクターになったのです。

 

この武将システムは、後に信長シリーズにも加えられ、

光栄のSLG の特徴になっていきます。

 

やがて、ファミコンが発売されると、光栄はファミコン市場にも進出。

信長の野望や三國志は、ファミコンでも大ヒットして、

歴史ファンは急速に拡大していく事になります。

 

もっと歴史を楽しんで欲しい、自ら出版も手掛ける

 

信長の野望や、三國志ばかりではなく、襟川氏は、様々な

歴史シュミレーションゲームに取り組みます。

日本の幕末を主体にし、言論と思想で天下を動かす新感覚SLG「維新の嵐」

三國志と同じく、中国の伝奇小説をゲーム化した、「水滸伝」。

欧州に目線を転じては、軍事的天才ナポレオンの欧州制覇の野望をゲーム化した

「ランぺルール」同じく、16世紀の欧州を舞台にした「大航海時代」

チンギスハーンの生涯をゲーム化した、「青き狼と白き雌鹿、ジンギスカン」

 

歴史好きな読者の方なら、一つくらいはプレイしているでしょう。

kawausoは、ここに挙げた全作品をプレイしました。

 

そして、ゲームをプレイした人から、色々な歴史上の疑問が

襟川さんの元にも寄せられます。

 

「光栄のSLGを楽しむなら、歴史を理解した方がずっと楽しい」

 

そう考えた襟川さんは、ここで、蓄えた歴史知識を駆使して

自ら出版まで手掛けてしまいます、本当に多彩な人ですね。

 

それが、爆笑三国志シリーズで、大ヒットします。

その勢いで様々なシリーズの関連本が出版されました。

これらのシリーズは何より堅苦しくなく、説教くさくもなく、

楽しく読めて、歴史の裏なども教えてくれるなど、

歴史の初心者が読むにはうってつけの内容でした。

 

ゲームを通して、この爆笑シリーズから歴史に関心を持ち、

三国志ファン、戦国時代ファンになった人が大勢出現しました。

襟川さんは、ただ著名なゲームを生み出しただけではなく、

今日に繋がる歴女や歴史ファンを大勢造り出した先駆者なのです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

襟川陽一さんの言葉には、「好きな事を仕事にする」があります。

仕事は楽しい事ばかりじゃないですが、好きならそれを乗り越えて

苦しさも楽しさに変えられるという意味だそうです。

65歳を迎えた襟川さんは、今でも筋金入りのゲーマーで、

毎日、数時間をゲームに費やしているそうです。

 

本当にコンピュータゲームが好きで仕方がない人なんですね。

趣味は趣味で仕事は仕事という方もいるでしょうが、、

あなたは、襟川さんの言葉をどう思いますか?

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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