【名将対決】雷神と恐れられた名将立花道雪VS呉の名将陸遜 Part.1

2016年5月22日


 

陸遜

 

今回の対決は名将として名高い二人の対決です。

一人目は荊州攻略戦で一躍有名になった名将・陸遜(りくそん)です。

この人に比肩する武将として、日本の戦国大名で大友家に仕え、

雷神として九州地方にその名を轟かせた名将・立花道雪(たちばな どうせつ)が立ちふさがります。

3回戦で行われる名将対決、軍配はどちらに上がるのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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立花道雪って一体何者

 

先ず対決を行う前に、立花道雪を紹介します。

彼は九州の大名である大友家に仕えます。

元服してから亡くなるまで、常に戦場の第一戦で戦い続け、

武功を挙げ続けた武将です。

戦の第一線で戦い続けていた道雪ですが、実は健全な体ではありませんでした。

30歳の半ば頃、雷に打たれて下半身が動かなくなってしまいます。

その為、輿に乗って戦場に赴き、味方の兵を率いていたとされています。

さて立花道雪の紹介をざっくりとしたところで、対決に行きたいと思います。

 

 



【Round1】主君に注意した対決【陸遜編】

陸遜

 

 

陸遜は呉の名将として三国志の中でも知名度の高い武将です。

また将として兵を率いる事に優れていただけではなく、

呉の国の政治にも携わっておりました。

しかし一つの事件により孫呉の土台が崩れ始めます。

 

 

二宮の変

後継者争い 劉協と劉弁

 

孫権は息子である孫登(そんとう)を太子に立てますが、若くして亡くなってしまいます。

その為、彼は孫和(そんか)を太子に立てますが、

彼は晩年に生れた孫亮(そんりょう)を非常に可愛がっておりました。

孫権は彼に呉の国を継がせたいと思い始めます。

そこで孫権は四男の孫覇(そんは)に太子である孫和と同じ待遇を与えます。

こうして二人の太子が立った事で、孫家の家中は孫和派と孫覇派2つの派閥に属し、

争い始めます。

 

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孫権に幾度も注意する

陸遜 孫権

 

陸遜は孫呉の家臣がそれぞれの太子について国が分裂して争っている

状態に危機感を募らせます。

その為、彼は丞相となった時、孫権に幾度も書面で「太子を二人にする事は

国家の為によろしからず。早急に太子を決めるべきです。」と注意します。

しかし孫権は彼の書面を無視します。

陸遜は自らの諫言が聞き入れられなかったことを知り、

呉の首都である建業に赴き諫言を行います。

孫権は陸遜の直言を聞き入れず、自らの行いを注意してきた陸遜に腹を立てます。

陸遜が建業から任地に帰った後、詰問の使者を出します。

 

陸遜

 

陸遜は孫権の詰問の使者が来た事に憤慨し、憤死する事になります。

三国志を書いた陳寿は「国の為に、君主を恐れず幾度も注意した陸遜こそ

社稷の臣と言っても過言ではない」と高い評価を与えています。

 

 

【Round1】主君に注意した対決【道雪編】

 

陸遜は国の為に君主を恐れず幾度も注意します。

さて道雪は一体どのように君主に注意を行ったのでしょうか。

 

 

狂った君主・大友宗麟に諫言を呈する

 

道雪の君主は戦国時代の大名としては非常に珍しい、

キリシタンの信仰を領地内で許した大友宗麟(おおともそうりん)です。

彼は道雪や他の猛将達を率いて、九州地方に覇を唱えます。

こうして九州の覇者の地位を確立した宗麟は、

戦いに明け暮れる毎日に嫌気がさし、近隣の美女を集め酒池肉林の生活を行います。

道雪や他の家老らは宗麟の行いに黙っていましたが、

次第に政治や軍事に見向きをせず、酒と女におぼれていきます。

その為、彼らは宗麟に幾度も注意を行います。

しかし宗麟は彼らの注意を聞くのが嫌になり、家臣の前に出なくなります。

道雪はこのままでは大友家が滅びると思い、

奥に引きこもって酒池肉林の生活を続ける宗麟を引っ張りだす為、一計を設けます。

 

 

自らも美女と戯れる

 

道雪は非常にまじめな武将として知られておりました。

そんな彼が宗麟のまねをして、近隣の村々から可愛い女の子を集めて、

毎夜踊らせ楽しみます。

この噂を聞いた宗麟は、道雪がどのような女を集めて踊らせているかを見るため、

道雪の家を訪れます。

道雪は宗麟が自らの家を訪れてくると聞き、女たちを帰し、正装で宗麟を出迎えます。

 

 

宗麟に再度諫言を用いるも…

 

 

道雪は宗麟が自らの家を訪れた事をチャンスとし、

宗麟に対して「殿。しっかりなされませ。九州地方に覇を唱えたといえども、

北九州には竜造寺(りゅうぞうじ)がおり、薩摩には精鋭を有した島津(しまず)が

おります。

また中国地方には毛利元就(もうりもとなり)死後、

勢いが衰えたといえども大国である毛利がおります。

殿がしっかりとして、大友家を率いらなければ、お家が滅亡してしまいますぞ」と

戦場で鍛えたしゃがれた声で宗麟に注意を行います。

宗麟は道雪の注意を聞き、一度は立ち直ります。

しかし家督(かとく)を息子の義統(よしむね)に譲り、

再び城に引きこもり、美女を招いて踊りや南蛮渡来の音楽に嵌っていきます。

闘将として近隣にその名を響き渡らせた道雪の諫言でも、

主君宗麟には響かず、大友家は家運を衰えさせていく事になります。

 

 

Round1の結果は…

陸遜

 

さてRound1・主君に注意した対決が終わりました。

結果は………。

呉の名将・陸遜に軍配を与えたいと思います。

 

 

Round2:戦の巧さ対決【陸遜編】

 

陸遜

 

前回は見事に呉の名将である陸遜(りくそん)が勝利を手に入れます。

今回も陸遜が勝ってこの勝負の幕を終える事になるのでしょうか。

それとも立花道雪(たちばなどうせつ)が勝ち、

第三ラウンドに持っていく事になるのでしょうか。

さて今回の対決は戦場での戦功です。

はじめは陸遜から紹介します。

 

 

山越討伐戦

陸遜

 

陸遜は孫権に仕えると、山越討伐戦に参加。

山越討伐戦で戦功を地道に挙げて行きます。

10年ほど山越討伐戦に参加した後、孫呉の首都である建業に戻ります。

 

 

呂蒙の跡を継ぐ

陸遜 呂蒙

 

建業に帰っていた陸遜は、都督である呂蒙(りょもう)と荊州について語り合います。

呂蒙は陸遜が非常に優れた才能を持っている事に気付き、

孫権に「荊州に居る関羽を油断させるためには陸遜を用いるといいでしょう。

彼は才知に優れており、私の跡を継ぐ者として適任です。

さらに彼の名は天下に知られていないため、

関羽の警戒を解き油断させるにはもってこいの人物です。」と陸遜を推薦します。

孫権は呂蒙の言葉を信じ、陸遜に跡を継がせ、荊州に赴かせます。

 

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関羽を油断させる

陸遜 関羽

 

関羽は呂蒙が倒れ、後任が名を知られていない陸遜だと知ると、警戒を解きます。

彼は陸遜が荊州に赴任してきた時、

魏の領土である荊州北部の攻略を行っておりました。

彼が率いている蜀軍は魏の軍勢を圧倒し、優勢でしたが、

兵力が足りず、決め手に欠けておりました。

関羽は呂蒙が倒れ、名も知らない陸遜が代わりに赴任してきたと聞き、

呉と国境を接している江陵の軍勢を全て北上させます。

 

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関羽の油断に付け入り、荊州を掌握

陸遜 関羽

 

陸遜は関羽が江陵の守備兵を全て、北上した事を知ると、

密かに呉軍を江陵に侵攻させ占領します。

その後蜀の領地である荊州を全て手に入れる事に成功。

こうして陸遜率いる呉軍はほとんど損害を出さず、蜀が有していた

荊州の領土を手に入れます。

その後魏との戦いを放棄し、荊州に帰って来た関羽を捕縛した後、

処断します。

この作戦で陸遜の名は天下に広がり、呂蒙が亡くなった後、

彼の跡を継ぎ呉の重鎮となります。

 

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連戦連敗の大都督

朝まで三国志 劉備

 

劉備(りゅうび)は義兄弟である関羽が殺された事に激怒。

彼は大軍を率いて呉に戦を仕掛けます。

陸遜は孫権から大都督に任命され、呉の諸将を率いて迎撃に出ます。

しかし呉軍は蜀軍の猛攻に連戦連敗し、撤退を繰り返します。

 

 

反抗の刻

陸遜

 

陸遜は蜀軍の戦線が伸びきっている事を確認します。

彼は兵士一人一人に藁を持たせ、全軍で蜀軍に夜襲を敢行。

 

陸遜

 

呉の兵士は蜀軍の陣営に火をかけた後、猛攻をかけます。

蜀軍は呉軍を侮っていた為、この夜襲に対応できず撤退を開始。

陸遜は全軍で撤退する蜀軍に猛追撃を行い、

蜀軍を白帝城(はくていじょう)にまで押し返すことに成功し、

大勝を得ます。

この戦いを後世「夷陵の戦い」と言われ、

陸遜の名は天下に知られ歴史に名を残すことになります。

 

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戦の巧さ対決【立花道雪編】

 

陸遜は華々しい大戦に勝利し、天下に名を知られます。

さて立花道雪は陸遜に対抗できる戦功を挙げているのでしょうか。

 

西国の雄・毛利家との激闘

 

大友家は道雪・臼杵氏・吉弘氏を含めた三家老の協力により、

九州の六か国を統治し、九州の覇者としての地位を確立します。

その後大友家は西国の覇者の地位を確立した毛利家と北九州を巡って

激烈な戦いを行います。

両者の戦いで最大規模の戦いは北九州の立花山城を巡る攻防戦です。

 

毛利家との半年にわたる戦い

 

大友家は北九州に割拠していた竜造寺(りゅうぞうじ)を討伐するため、

出陣します。

竜造寺家を佐賀城(さがじょう)に追い詰めます。

大友家が竜造寺と争っている隙をついて毛利軍が筑前(ちくぜん)に

侵入し、立花山城を奪います。

宗麟は毛利家を迎撃する為、竜造寺家と和睦。

その後直ぐに軍を返して、毛利家に奪われた立花山城へ攻撃を開始します。

こうして半年にわたる激闘が始まります。

半年間に両軍が戦った回数は大小合わせて約20回と言われています。

 

 

敗勢を挽回する突撃

立花道雪はこの戦の中幾度か敗勢の状態に陥った大友勢を救っています。

5月18日に起きた毛利家との戦いは、

半年間続いたこの戦いの中で最大規模と言いわれています。

この合戦で、大友家は毛利家の猛攻に耐えきれず、

全軍が崩壊する寸前に追い詰められます。

そんな中道雪は左翼に布陣している小早川隆景(こばやかわたかかげ)の陣を

見つめ続けていました。

そして隆景の陣の守備が弱まったと感じると、輿を側近に担がせ、

敵陣に突撃させます。

 

「エイトー!エイトー!」の掛け声で士気をあげる

 

道雪は戦の時、太鼓を叩かせ、

輿を担いでいる者達に「エイトー!エイトー!」と

掛け声を挙げて敵陣に突撃させるのが道雪軍の伝統でした。

この掛け声を聞いた兵士は全軍が奮い立ち、

死に物狂いの戦いで敵陣を破砕します。

道雪は小早川の陣が手薄になったと見て、「エイトー!エイトー!」

と掛け声を挙げて敵陣に突撃します。

この掛け声を聞いた道雪旗下の兵士達は死に物狂いで道雪の跡を追い

小早川の陣に猛攻を仕掛けます。

道雪軍の猛攻を受けた小早川の陣は耐えきれず、退却を開始。

左翼の小早川陣が崩れた事で、大友軍の全軍が反撃。

何とか劣勢を跳ね返し、毛利家から辛勝を得ます。

その後も繰り返し両家の間で戦いが行われますが、

その都度道雪は勇敢に戦い、毛利軍を撃退します。

そして毛利家の本国に変事が起きたため、毛利家は撤退する事で

長きにわたる激闘に終止符が打たれる事になります。

 

覇者から転落した大友家

 

 

大友家はその後、薩摩(さつま)に割拠している島津討伐に出陣。

耳川(みみがわ)で両軍は対峙します。

兵数で圧倒的に島津家を凌駕していた大友家ですが、

島津軍の前に敗れる事になります。

耳川の合戦以降、大友家は九州の覇者の地位から脱落。

日に日に勢力は島津家に削り取られて行きます。

道雪はこの時、北九州の立花山城を統治しており、

耳川の戦に参戦しておりませんでした。

 

主家を支えるため、奮闘する

 

 

大友家の勢いが失速し、勢力が衰えていきます。

そんな中、肥前の竜造寺家が北九州の大友家の諸城を攻略していきます。

道雪と高橋紹運(たかはしじょううん)は連携して、竜造寺家の攻撃を防ぎます。

また大友家の味方をしていた豪族が裏切り、道雪がいる立花山城に猛攻を

仕掛けてきます。

しかし道雪は豪族の軍勢を軽々と蹴散らします。

道雪は竜造寺家の当主が島津に討たれた事を知ると紹運に、

奪われた大友家の諸城を奪還するように依頼します。

紹運が竜造寺に奪われた諸城を次々に攻略。

道雪が北九州で奮戦する事で、

北九州の大友家の領土は何とか維持されて行きます。

 

戦場での戦功対決の結果は

 

 

陸遜と道雪の戦場での戦功を紹介しました。

両者とも抜群の戦功を立てていますね。

さて今回の結果は……。

輿で戦場に突撃し、戦功を挙げ続けた立花道雪の勝利にしたいと思います。

 

次回記事:【名将対決】雷神と恐れられた名将立花道雪VS呉の名将陸遜 Part.2【完】

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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