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黄巾討伐で大活躍した功績が認められる
皇甫嵩(こうほすう)は凱旋将軍として、民衆や朝廷の群臣達から迎えられます。そして黄巾討伐で数々の戦功をあげた皇甫嵩は莫大な恩賞が与えられます。彼は冀州(きしゅう)の牧と兼任して、左車騎将軍(さしゃきしょうぐん)に任命され、莫大な領地も授与されます。こうして彼の名声は天下に轟くことになります。
韓信みたいになっちゃうよ
皇甫嵩は冀州へ赴任すると、黄巾の乱で土地は荒れ果てており、民衆には活気がありませんでした。そのため彼は民衆に活気を取り戻させるために、税を軽くするなど民衆が苦しまないような統治を行います。こうして毎日忙しくしていた彼のもとに一人の男がやってきます。その名を閻忠(えんちゅう)と言います。
彼は皇甫嵩に会うと「昔、漢の高祖の武将として比類なき功績を挙げた韓信(かんしん)は、高祖・劉邦(りゅうほう)に疑われて亡くなります。今あなたの比類なき功績は、称えられておりますが後日誰かに嫉妬され、必ず韓信と同じように不幸になることでしょう。それならば国が乱れている今、独立を果たして自らの国を作れば、韓信と同じ過ちをせずにすみます。どうか将軍。独立して韓信と同じ間違えを繰り返してはなりません。」と進言します。しかし皇甫嵩はこの進言を取り上げる事はありませんでした。そのため閻忠は進言が取り上げられない事が分かると皇甫嵩の元から逃亡します。
董卓と共に韓遂討伐へ
天下にその名を知られた皇甫嵩は、関中で反乱を起こした韓遂(かんすい)討伐を命じられます。この時董卓も一緒に出陣することになります。こうして二人で韓遂討伐へ向かうのですが、皇甫嵩の指揮は黄巾討伐戦で見せた活躍はできず、韓遂軍にてこずります。しかし董卓は韓遂の軍勢を各地で破る大活躍を見せ、前将軍の位を下賜されることになります。しかし皇甫嵩は戦果を挙げることができなかったため、冀州の牧と左車騎将軍の位を剥奪されてしまいます。
董卓とのいがみ合い
韓遂は一度討伐されますが、再び息を吹き返し、再度各地の城を攻撃してきます。皇甫嵩と董卓は再び朝廷から命じられ、韓遂討伐へ向かいます。この時皇甫嵩の部下として董卓は従軍することになります。董卓は皇甫嵩に色々と進言しますが、皇甫嵩は董卓の進言をすべて退け、自分の考えた戦い方をして、韓遂軍に勝利を収めていきます。この結果皇甫嵩の名声は再び盛り返しますが、董卓は皇甫嵩が自分の進言を取り上げなかった事を憎み、皇甫嵩を恨むことになります。
董卓洛陽へ
董卓と皇甫嵩はその後接点がないまま、過ごすことになります。しかし何進(かしん)が宦官討滅作戦を企てる際に、各地の実力者を洛陽に来るように呼びかけます。この呼びかけに応じた董卓は、本拠地の幷州を出て洛陽へ向かいます。彼は洛陽へ向かう時に思わぬ拾いものをします。その拾い物とは皇帝兄弟です。彼らを拾った董卓は二人を保護しながら洛陽へ入城します。皇帝兄弟を保護した功績から太尉(たいい)に任命されます。こうして董卓は後漢の軍権を握ることに成功すると暴虐の限りを尽くしていきます。まず手始めに皇甫嵩へ復讐しようと考えます。
復讐されるが、皮肉をもって答える
皇甫嵩は董卓に呼ばれるとさっそく宮殿に出向きます。董卓は彼が来ると「義真(ぎしん=皇甫嵩の字)恐ろしいだろう」とからかいます。当時董卓は自分に逆らったり、気に食わない家臣がいるとすぐに処刑しており、群臣から恐れられておりました。しかし皇甫嵩は「今あなた様は、徳をもって朝廷を支えておられる。そんな徳をもって収めている方に対して、なぜ私が恐れなければならないのでしょうか。また民衆や群臣達が噂しているように、あなたが気に食わない臣達を次々に殺しているのであれば、恐れているのは私だけではなく、すべての臣下達が同じ気持ちでしょう。」と恐れずに意見を述べます。この皇甫嵩の意見を聞いた董卓は黙り込んでしまいます。そして何事もなかったように皇甫嵩は宮殿を去っていきます。
三国志ライター黒田廉の独り言
皇甫嵩は董卓の死後、王允(おういん)によって将軍の位を授かりますが、自ら戦線に出ることはしませんでした。そして世間の戦乱を横目に見ながら、ひっそりと亡くなります。魏の太尉として魏の国を支えた華歆は彼の事をこのように評しています。華歆曰く「自分が挙げた手柄や功績はすべて他人に譲ったことで、人から恨まれるような人ではなかった」と称賛しております。