魏の初代皇帝・曹丕(そうひ)は3世紀の人間としては、とんでもない博識な人物でした。
そんな彼は合理主義者の曹操(そうそう)の息子らしく、別に頼まれてもいないのに、
世にはびこる様々な迷信を攻撃して打破しようと自著、典論で色々書いています。
しかし、その中には、思わず赤面するような大失敗も混ざっていたのです。
この記事の目次
竹取物語にも登場する火鼠の皮衣
さて、昔話でもお馴染みの、かぐや姫が登場する竹取物語には、
かぐや姫に求婚する五人の貴族を退ける為に、かぐや姫が、
あり得ない宝物を要求して、五人を諦めさせようというシーンがあります。
それは、仏の御石の鉢、蓬莱(ほうらい)の玉の枝、龍の首の玉、
燕の子安貝、そして、決して燃えない火鼠(ひねずみ)の皮衣でした。
五人の貴族は、ずるをしたり、本気で探したりしますが、
いずれも手に入れる事は出来ず悉く求婚は失敗します。
この中の火鼠の皮衣が、曹丕が胡散臭いと考えたアイテムでした。
周の時代から献上された記録がある火鼠の皮衣
この火鼠の皮衣は、中国では火浣之布(かかんのふ)と呼ばれ、
周の穆王(ぼくおう)の時代に、大いに遠征で領土を広げた時代に、
周辺部族から献上されたものの中に入っていた珍宝でした。
それは真っ白な布ですが、火に投げ込んでも焼けるどころか
焦げる事すらなく、汚れだけが落ちると言われていて、
火で汚れを落とす布とも言われていました。
漢の時代にも、火浣之布が献上されていますが、
曹丕の時代までは伝わらず、それゆえに伝説の類だと思われていたのです。
(写真引用元:傳唱千年的怪談:歷史中的火布)
曹丕、大いに語る 火浣之布なんか存在しねーよ!
そこで曹丕は、火浣之布を存在しないものとして典略で断定します。
曹丕「大体、火というものは全てを焼き尽くす性質のものではないか?
それを、たかだか布であるのに燃えないなどとは胡散臭い話だ。
きっと、これは作り話で存在しないに違いない」
曹丕は、このようにばっさりと火浣之布を否定しています。
合理主義者の曹丕の本領全開という所ですが、しかし、
その後、とんでもない事が起きてしまいます。
曹丕、赤面! 火浣之布が献上されちゃった!!
ところが、道教の経典である抱朴子(ほうばくし)の「論仙」には、
この後に曹丕の宮廷に、周辺国から火浣之布が献上された事が記されています。
曹丕は否定した手前、容易には火浣之布を信じず実際に火をつけて
燃やしてみた事でしょう。
しかし、布は焼ける事も焦げる事さえなく、
しっかり白いままで残っていました。
は・は・は、はずかちーーーー!!
曹丕が自信満々に無いと断じた火浣之布は、存在していたのです。
事実を知った曹丕はどうした?
火浣之布が実在する事を知った曹丕は、
恥ずかしいやら情けないやら溜息をついてしまいます。
そして大急ぎで、太学の庭に打ち立てた石碑から、
「火浣之布は無い」と断言した部分を削ってしまったそうです。
典論は、現在では、その内容が殆ど失われていますが、
版を重ねる段階では、問題部分も削除したかも知れません。
曹丕としては、自信満々で書いた典論に早々にケチがついてしまった形です。
まあ、石碑から削ってしまったという事は、
曹丕は自説の誤りを認めたという事ですね。
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三国志ライターkawausoの独り言
この火浣之布は、現在では、石綿(いしわた)の事であると言われています。
これはアスベストの事で、見た目は布に見えても鉱物なので
一定の温度までは形が変わる事がありません。
しかし当時の中国では、産出しない物質だったので、
さすがの曹丕にも、その存在が信じられなかったという事でしょう。
この話は、世界は広く、自分が常識だと思い込んでいる事でも、
時には通用しない事があるんだよという教訓が込められています。
曹丕に限らず、頭でっかちになりがちな現代人にも、
しっかり通用する話なのではないでしょうか?
本日も三国志の話題をご馳走様・・
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