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実は冷血を演じたツンデレ曹丕、その理由とは?

2015年8月19日


曹丕

 

後代、曹丕(そうひ)の評価が一般に低いのは、

曹丕の性格が悪いと言う事もそうですが、

彼が身内にとても冷たく当たったという点が響いています。

 

特に、曹操(そうそう)の寵愛深く、自身と王位を争った曹植(そうしょく)

激しく警戒して、身辺に寄せず、転封を繰り返した事は三国志ファンならご存じでしょう。

ところが、曹丕、なんだかんだで曹植の安否を気にしていた節があります。

その事が記された漢文を紹介しましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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最初に漢文を紹介しちゃうよ

 

 

魏略曰、初(曹)植未到關、自念有過、宜當謝帝。

乃留其從官著關東、單將両三人微行、入見清河長公主、欲因主謝。

而關吏以聞、帝使人逆之、不得見。太后以為自殺也、對帝泣。

會植科頭負鈇鑕、徒跣詣闕下、帝及太后乃喜。及見之、

帝猶嚴顔色、不與語、又不使冠履。植伏地泣涕、太后為不樂。詔乃聽復王服。

 

これが、魏略に見られる、曹植と曹丕の逸話を記した部分です。

これだけだと難しいので、順を追って説明していきますね。

 

 

無礼があった曹植、爵位を削られる

曹植

 

曹丕との対比で明るく素直な好青年に描かれる曹植ですが、

父曹操の寵愛もあって、その行動は羽目を外すケースが多かったようです。

曹操の存命中も皇帝しか通れない門を面白半分で通り抜けて、

曹操に激しく怒られたりしています。

 

それは、兄である曹丕が皇帝に即位してからも治りませんでした。

泥酔する程に酒を飲んだ曹植は、曹丕の使者を罵倒し、

「無礼モノめ、俺を誰だと思っている!」と脅迫した事がありました。

 

皇帝の位を兄に取られ、しかも冷遇されているという鬱憤が言わせた

事ではありますが、これを自分の権力への重大な挑戦と考えた

曹丕は、曹植の爵位を削ってしまいます。

 

正気に戻った曹植は、曹丕に何とか罪を許してもらおうと、

兄弟である清河長公主を頼んでお忍びで共と一緒に城を出ました。

 

それが、漢文の上の部分で

魏略曰、初(曹)植未到關、自念有過、宜當謝帝。

乃留其從官著關東、單將両三人微行、入見清河長公主、欲因主謝。

という事になります、では、話を続けますね。

 

 

曹丕、曹植を捕えようと人を派遣するも捕まえられず・・

 

 

曹植が姉の清河長公主の元に向かったと知った曹丕は、

使者を派遣してこれを捕まえようとします。

ところが、どういう訳か曹植の足取りはまるで分かりません。

 

曹丕と曹植の母である卞太后(べん・たいこう)は、

「もしや曹植は自殺してこの世に居ないのではないか?」

と絶望して、毎日、曹丕の顔を見ては泣いて暮らしました。

 

漢文だと、このようになります。

而關吏以聞、帝使人逆之、不得見。太后以為自殺也、對帝泣。

 

でも、卞太后、まるで曹丕のせいで曹植が自殺したとでも

言いたげな対応です、曹丕もさぞかし居心地が悪かったでしょう。

對帝泣、帝に對(対)して泣くですから、あからさまです。

 

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死んだと思っていた曹植、意外な姿で登場

 

 

しかし、曹植は生きていました、姉の所にいくかのように見せかけ、

自分から帝都洛陽にやってきたのです。

 

しかも、冠も被らず(この時代は冠を被らないのは裸と同じ位恥ずかしい)

裸足で自分の首を斬る斧を自分で担いでの登場です。

 

つまり、「この斧で罪人の私を斬って下さい」というアピールです。

 

傾いてますねー曹植、まるで小田原攻めに遅れて秀吉の前に現れ、

磔用の木材を担いで白装束で来た伊達政宗のようです。

 

曹植が生きていて大喜びの曹丕

曹丕 曹植

 

そして、この時、曹植が生きていた事が分かった。

卞太后と曹丕は、なんと喜んでいます。

卞太后ばかりではありません、何と曹丕も喜んだのです。

その動かない証拠は、魏略のココにあります。

 

會植科頭負鈇鑕、徒跣詣闕下、帝及太后乃喜。及見之、

 

ここに、帝及太后乃喜。及見之とあるように、曹植の姿を見るなり

曹丕は母と共に、その無事を喜んでいるのです。

 

喜んだ曹丕、再びツンに戻る

ツンデレ曹丕

 

ところが、弟が無事でいた事を喜ぶのと帝としての体面は別です。

曹植が土下座して謝るのを曹丕は、ただ黙ってみています。

 

この辺りは曹丕の冷徹さが現れています、、

 

(ここで甘くすれば、泣きさえすれば許すとつけあがる。

帝王の威厳は兄弟の愛情も超越すると見せつけねば)という事です。

 

ですが、ここで再び母、卞太后が地面に這いつくばる息子、

曹植を見て、つらそうな顔をしているのが見えます。

 

ダンマリ通しで押し通すつもりだった曹丕は、

「衣服を整えよ」とつい言葉に出してしまうのです。

 

この部分は魏略では、こうなっています。

帝猶嚴顔色、不與語、又不使冠履。植伏地泣涕、太后為っb

 

帝は猶(なお)も厳しい顔色で、不與語、言葉を与えなかったけど、

太后が為不楽、甚だ辛そうな顔をしているので、

最後には、詔を聴して、復王服、つまり服を整えなさいと言っています。

 

結局、冷徹な筈の曹丕は母の手前、非情にはなりきれず、

威厳のある皇帝の態度を貫こうという思惑も中途半端になります。

 

曹植は、冠を捨てて、裸足になり、斧を背負った甲斐あって、

ついに曹丕に殺される事なく、この場面を切り抜けるのです。

 

曹植は領地は転々とするものの、地位は上がり続け最後は陳王として

3500戸を領有するようになりますが、政治に関わりたいという未練は消えず

何度も自分を政治に携わらせてくれと曹丕や曹叡に手紙を出しています。

 

ですが、当然の事ながら願いは通らず曹王朝に飼殺される形で、

西暦232年に41歳で憤死しました。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

曹丕はどうして、曹植の地位や領地を下げる事なく、

権力は与えないだけで飼い殺しを続けたのでしょうか?

 

これは、やはり、曹植の自殺を恐れていたのではないか?

とkawausoには思えてなりません。

 

古来、中国王朝では、邪魔になった有力人物はすぐには殺さず、

徐々に権力を削いでいき、地位を下げて、僻地へ流して、

最後には、毒薬か短刀を送りつけて死を与えるのが常です。

 

キングダムの呂不偉(りょふい)も、秦王政に、そんな風にされて自害しています。

曹植は、歴史にも通じていますから、うっかり、

曹丕が地位や領地を削ろうものなら、

 

「あー!もう確定、曹丕は俺を殺す気だ!殺される前に死のう」

 

と早合点して死んでしまう可能性がありました。

曹植を弟としては憎からず思っていた曹丕は、

自殺をさせないで生かし続ける為に、こんな面倒な手法を取った

そういう事ではないでしょうか?

身内に冷たいように思う曹丕には、意外にも優しい所があったのです。

今日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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