意外!実は剣術家だった曹丕の自叙伝が凄い

2016年6月3日


 

曹丕

 

曹丕(そうひ)とは言わずと知れた、魏の初代皇帝、文帝の事です。

彼は有能でしたが陰険な性格があり、また典論(てんろん)という

文学論の本を出版した事から、体育会系というよりは文系イメージですが、

実は、剣術にも長けて、多くの武勇伝を持つ人であった事が、

曹丕自身の記した典論自叙によって明らかになっています。

個人のエッセイとしてもかなり面白い曹丕の人生を見てみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武者修行した俺、でも都以外には大した武芸者はいないね

曹丕 残忍

 

「俺は若い頃に剣術も学んだ、多くの師匠についたけど、

全国各地の剣法には、それぞれ流派があって、内容が違っていた。

でも、地方の剣術は駄目で、やはり都の剣術が秀逸だと思ったよ。

 

俺の師匠は、河南の史阿(しあ)という人で、

霊帝、桓帝の頃の剣の達人の虎賁(こほん:近衛兵)

王越(おうえつ)の弟子で、唯一、その剣術の全てを受け継いだ人だ。

この人に師事して、俺は剣術の腕を磨いたのさ・・」

 

原文:余又学撃剣、閲師多矣、四方之法各異、

唯京師為善桓霊之間、有虎賁王越善斯術、称於京師

河南史阿言昔与越遊、具得其法

 

どうでしょう、武者修行に汗を流す若き曹丕の姿が、

目に浮かんでくるようではないですか?

 

奮威将軍の鄧展と剣術論をやってみる俺

曹丕

 

このような経緯から、曹丕は剣術論にも一家言あったようです。

ある時の事、奮威将軍の鄧展(とうてん)と、

平虜将軍の劉勲(りゅうくん)と共に曹丕が酒を飲む機会がありました。

 

この将軍、鄧展は、5つの武器、戈(か)殳(しゅ)戟(げき)

酋矛(しゅぼう)夷矛(いぼう)に通じていて、また、

武器を持たずに白刃の中に入る事が出来ると豪語していたようです。

 

おおっ!無刀取りの柳生但馬守みたいだ!!

 

剣術好きの曹丕は、鄧展と剣術論を熱く語りましたが、

どうも、鄧展は言う程の事はない口先番長と感じて、

 

「この際、はっきり言うが、将軍の剣術は間違っている

俺も以前から剣術を愛好しているが、将軍には負けない腕があるぜ」

 

と鄧展に文句をつけました。

下は、そこまでの原文です。

 

原文:嘗与平虜将軍劉勲、奮威将軍鄧展等共飲、
宿聞展善有手臂、暁五兵、又称其能空手入白刃

余与論剣良久、謂言将軍法非也、余顧嘗好之、
又得善術、

 

鄧展とサトウキビで試合をやって、瞬殺しちゃう俺

曹丕

 

これに怒った鄧展、酒が入っている事もあり、目を座らせ、

「では、是非、一度、手合わせを願いたい」と言いました。

 

鄧展の怒りが伝わります、、

プライドを傷つけられた腹いせに、

試合にかこつけて、曹丕を打ちのめし、

恥をかかせてやるという勢いです。

 

曹丕は、その挑戦を受けて、

酔いざましにかじっていたサトウキビを

剣の代わりにして、殿上から下りて試合をします。

 

曹丕 スイーツ

 

剣の代わりにサトウキビの茎というのも・・

ここでもスイーツ男子、曹丕はサトウキビをかじるんですね。

ともあれ、耳が熱くなる程に酔っ払った二人は、

群臣の見守る中で試合を行いました。

 

結果は、数合も撃ち合わない間に曹丕が

3回とも、鄧展の肘を撃って試合終了でした。

一本も取れない鄧展に、周囲は大笑いになります。

 

以下はその模様を書いた、典論の自叙から・・

 

原文:

時酒酣耳熱、方食芊蔗、便以為杖、

下殿数交、三中其臂、左右大笑 

 

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執拗にリベンジを要求する鄧展をまた瞬殺する俺

曹丕

 

曹丕に瞬殺された鄧展ですが、負けたのが信じられず、

「もう一回だけ、手合わせを願う」と喰い下がります。

 

鄧展武人らしからぬ、泣きの一回です。

 

曹丕は、

「ああ、、俺の手は速くて実戦タイプだからさ、

面みたいな、リスクが高い所は狙わないんだ。

もし、ズルいと思って怒ったならマジゴメン!

でも、これが俺のスタイルだから」と言いますが、、

 

鄧展は、それを聞くとなおさら、、

「もう一度、手合わせを願う」の一点張りです。

 

それを聞きいれた曹丕は、密かに考えます。

 

(鄧展は、今度は余り動かず、俺の動きが止まった瞬間を

突きで狙いにくるだろう、ならば、俺は敢えて、

鄧展に突っ込む振りをして隙を造るか・・)

 

曹丕が、鄧展に突っ込むそぶりを見せて踏み込むと、

鄧展はここぞとばかりに突きを放ってきます。

曹丕は、これをサッとかわすと、ガラ空きの鄧展の顔に、

面を打ち込んでしまいました。

 

一同、余りに鮮やかな面にシーンとなったそうです。

 

それを見た、曹丕は悠然と殿上に戻りながら、

 

「昔、名医の陽慶(ようけい)は、淳于意(じゅんうい)に、

彼が最初に学んだ医術をを放棄させて、頭の中をゼロにさせた上で

医学の秘術を授けたと聞いている。

今、俺も、その故事に倣い、鄧展将軍が元の剣術を捨て去り

 改めて立派な師について剣術を学ぶのを願うぞ」と言いました。

 

はい、出ました、曹丕、お得意の「余計な一言」です。

 

ここで、「つまらない余芸を見せたな、飲み直そうぞ」

とでも控えめに言っていれば、随分高感度も上がるのに、、

この一文で、剣の腕が立つのを自慢する嫌なヤツの印象が強まります。

まあ、ここが曹丕らしいと言えば、らしいのですが・・

 

原文:展意不平、求更為之 余言吾法急属、難相中面、

故斉臂耳展言願復一交、余知其欲突以取交中也、
因偽深進、展果尋前、余却脚(巣+おおざと)正截其顙、坐中驚視

余還坐、笑曰、 昔陽慶使淳于意去其故方、更授以秘術、

今余又願鄧将軍捐棄故伎、更受要道也 一坐尽歓

 

何でも出来るからって威張っちゃいけない俺

ツンデレ曹丕

 

上の故事を見ると、とてもそうとは思えませんが(笑)

曹丕は、典論の自叙で得意分野を自慢してはいけないと書いています。

 

というのも、曹丕は若い頃に、二刀流の剣術に優れて、

「自分より強い者なんかいない」と思い込むに至ったそうです。

ところが、陳の国出身の袁敏(えんびん)という剣術家に学ぶ機会があり、

 

「彼は一刀しか扱わないのに、二刀を操る対戦相手をいつも瞬殺した。

それは、変幻自在で、神の業の如く、こちらは袁敏の刀がどこから出てくるか、

まるで分らない、もし路地のような狭い場所で、袁敏と遭遇したら、

とてもその刀を防げないだろう・・」

 

と力量の違いを見せつけられ、愕然とし天狗の鼻を折られたと

書いています。

 

威張ってみたり、自信喪失したり、忙しい曹丕の

メンドクサイ性格が分る逸話と言えるでしょう。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

曹丕が剣術家でもあったというのは、結構意外な事実ではないでしょうか?

しかも、鄧展のような武芸の達人から鮮やかに一本取っているあたりは、

かなり熱心に武芸に打ち込んだ曹丕の青春時代が見えるようです。

 

でも、余計な一言で、折角の好印象を台無しにするのも、

いかにもメンドクサイ性格の曹丕らしいなと思います。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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