旦那が死刑の判決をうける
蔡文姫は漢へ帰還した後すぐに再婚することが決まります。彼女の再婚相手は屯田都尉(とんでんとい)の役職に就いている人物でした。この人物は非常に優しく結婚した後も蔡文姫を大切に扱ってくれていましたが、この奥さんに優しい旦那が罪を犯して捕まってしまいます。その後裁判にかけられて判決が下されることになります。蔡文姫は旦那が重罪を犯したわけではないので大した罪にならないであろうと考えていましたが、彼女の予想は外れてしまい、旦那は死刑になることが決定されます。蔡文姫は旦那が死刑される意味が分からず呆然と立ち尽くしていましたが、すぐに行動を起こします。彼女が行った行動とは判決を下した上司である曹操の元へいって、死刑判決を取り消してもらえるように直訴することでした。
蔡文姫の助命嘆願を許可
曹操はちょうど部下を集めて宴会を行っているところへ側近から「蔡文姫が夫の助命嘆願の為にやってきていますが、いかがしますか」と尋ねられます。すると曹操は「蔡文姫をここへ連れてこさせよ」と命じます。蔡文姫は曹操の元へやってくるとボロボロの状態でありながら、弁舌は爽やかで筋の通して旦那の助命嘆願をお願いします。この言葉を聞いた曹操は「許してやりたいのはやまやまなのだが、もう死刑の判決を実行するようにと送ってしまったのだ」と助け出すことが不可能であると伝えます。すると彼女は曹操に向かって
「あなた様は大量の馬を持っており、近衛兵も多数従えております。それにも関わらず死刑の執行を中止する早馬を出すこともしてくださらないのですか」と再度曹操へ死刑の執行を中止するようにお願いします。
この言葉を聞いた曹操は大いに笑って
「わかった。わしの負けじゃ。今すぐ早馬を出して死刑の執行を中止するように伝えよう」と言い、部下に命じて蔡文姫の旦那の死刑執行をやめるように伝えます。彼女の必死の助命嘆願と爽やかな弁舌によって旦那は救われることになります。
曹操からのお願い
曹操は蔡文姫の助命嘆願を聞いてやると次に彼が彼女に訪ねます。曹操は蔡文姫に「君は父が残したとされる書物がどのようであったか覚えているかね」と訪ねます。彼女は曹操の問いかけに「父が蔵書していた書物はかなりの数なり、すべての数を覚えているわけではありませんが、10分の1程度でしたら今でも記憶しております。」と述べたます。曹操は蔡文姫に紙と筆を与えて「父上の蔵書されていた覚えているのもでいいからここに書き表してくれないか。」とお願いします。蔡文姫は承諾して、数日かけて覚えている本の内容を紙に書き出して曹操へ渡します。このとき蔡文姫が書き表した本の数は400巻程になり、その内容は確かめることはできませんでしたが、誤字・脱字が一切ない完璧な状態であったそうです。蔡邕の書物は全部を後世に伝えることができませんでしたが、一部分は彼女の優れた記憶力のおかげで後世に伝えることに成功します。その後蔡文姫は旦那とともに仲良く暮らしたそうです。
三国志ライター黒田廉の独り言
蔡文姫は後世の中国にも非常に影響を与えている人物で、父蔡邕から教えてもらった筆法を父の友人でもあった鍾繇(しょうよう)に伝授。この鍾繇は知り合いでもあった衛夫人に、自分が修めた筆法と蔡文姫から伝授された蔡邕の筆法両方を教えます。そしてこの衛夫人は弟子となっていた王羲之(おうぎし)に蔡邕・鍾繇ふたりの筆法を教えます。その後王羲之は衛夫人から教えてもらった筆法を駆使して色々な書を書き、後世に「書聖」として言われることになる人物です。蔡文姫がいなかったら書聖である王羲之は生まれなかったかもしれませんね。こんなところにも三国志が影響していました。
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