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【骨肉の争い】袁尚VS袁譚
袁譚(えんたん)は曹操がいなくなると軍勢をまとめて、袁尚がいる鄴城(ぎょうじょう)へ猛攻をかけます。袁尚(えんしょう)は兄が鄴城へ攻撃を仕掛けてきた事で大いに怒り、袁譚の軍勢を打ち払います。袁譚は袁尚に敗北すると、青州に戻らず平原(へいげん)へ向かいます。そしてすぐに袁尚の軍勢が南皮城を包囲します。袁譚は郭図を呼んで、彼に秘策を与えます。
袁譚の奇策
袁譚は郭図(かくと)を呼ぶと彼に「曹操の元へ行って降伏するから、援軍をくれと言って来い」と指示。郭図は曹操の元を訪れ、袁譚の言われた通りに述べます。曹操は袁譚の降伏を受け入れ、さっそく軍勢を袁尚のいる鄴城へ差し向けます。袁尚は曹操軍が鄴城に攻撃を仕掛けていると聞き、すぐに兵をまとめて鄴へ退却します。こうして骨肉の争いは袁譚の勝利で幕を閉じます。
再び袁尚が退却
袁尚は曹操軍が鄴城を包囲していると聞くと大急ぎで、鄴城へ退却します。彼は鄴城へ退却している途中に驚くべき報告を受けます。曹操軍が鄴城付近を流れる漳水(しょうすい)を決壊させて、鄴城に水攻めを行っているとのことでした。袁尚はこの報告を受けると全軍を叱咤し、鄴城へ急がせます。
袁尚が曹操に敗れる
袁尚は兵を叱咤して何とか鄴城近辺に到着します。彼は鄴城へ狼煙をあげて、救援軍が来たことを知らせ、城内と城外から曹操軍を挟み撃ちにしようと伝えます。だが彼が一生懸命考えた作戦は、曹操に読まれてしまい、城から出撃してきた軍勢は城に押し戻されてしまいます。
袁尚はそうとは知らず、曹操軍に突撃します。しかし曹操軍は全軍で袁尚の軍勢を迎撃し、大勝利をおさめます。袁尚の軍勢は曹操に大敗北した後、漳水のほとりに追い詰められてしまいます。彼は諦めて曹操に降伏を願い出ますが、断られてしまった為一人で逃走。こうして袁家の本拠地であった鄴城は曹操の手に渡ることになります。
袁譚は袁尚の領地を奪う
袁譚は袁尚が敗北する前に軍勢を動かし、袁尚の領地を奪って自らの領地とします。こうして袁譚は短期間の間に兵力を拡大します。しかし曹操は袁譚が勢力拡大したことを許さず、彼との縁を切り攻撃開始。袁譚は曹操に備えるため、南皮城へ帰還して籠城の準備を開始します。
曹操軍を死に物狂いで撃退
袁譚は曹操軍が南皮城へやってくると、城内にこもらず出撃します。彼は自分が助かる見込みがないと感じ、必死に曹操軍に猛攻を仕掛けます。そのため曹操軍は一度体制を立て直すため退却します。こうして一度は曹操軍に勝利をおさめた袁譚。しかし滅びの時は近づいておりました。
南皮陥落。そして…
袁譚は再度曹操軍がやってくると、城内にこもり交戦します。だが、曹操軍のすさまじい攻撃を前に袁譚軍はやられていき、袁譚は戦意を喪失。そして彼はひそかに南皮の城を脱出します。
しかし曹操軍の最精鋭の騎馬隊である「虎豹󠄀騎(こひょうき)」の隊長曹純(そうじゅん)の軍勢に見つかってしまいます。袁譚は曹純に「私の元に来れば、褒美は君の好きなものをやろう」と寝返りを促しますが、曹純には届かず捕縛されてしまいます。その後袁譚は曹操の元へ連れていかれ、処断されてしまいます。こうして袁家の骨肉の争いは幕を閉じることになります。
三国志ライター黒田廉の独り言
袁譚と袁尚この二人が相争わないで、仲良く力を合わせていれば歴史は違っていたでしょう。そう考えると袁紹が可愛がっていた袁尚ではなく、しっかりと袁譚を跡継ぎに指名していればかなり違った歴史を見れた事でしょう。
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