曹純(そうじゅん)ってどんな人?曹操軍の騎馬隊長として戦場を駆け巡る




曹純

 

曹純(そうじゅん)が青年の時に父は他界します。

 

曹仁

 

兄貴であった曹仁(そうじん)は早くに家を出ていたため、曹純が父の資産を管理しており、里の者から大いに褒められたそうです。20歳の時、曹操(そうそう)に仕え、それ以来、精鋭騎馬隊「虎豹騎(こひょうき)」隊長で武略に優れた人物です。

 

自称・皇帝
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曹操軍精鋭騎馬隊「虎豹騎」を率いる

曹操 魏王

 

曹操は精鋭騎馬隊である「虎豹騎」を率いておりました。しかし、戦場が拡大するにつれて虎豹騎を自らの手元に置いておくより、武略に優れた武将に率いてもらいたいと思っていました。

 

だが虎豹騎を率いるに相応しい武将が、中々見つかりません。しばらく悩みに悩んだ末、曹純に虎豹騎を率いさせる事にしました。曹純が虎豹騎の隊長に就任すると、部下の能力をしっかりと見極めて、日頃から可愛がりました。

 

そのため、部下も曹純を慕って彼の命令をしっかりと聞き、強力な騎馬隊に成長しました。

 

 

南皮城攻略戦で大活躍

官渡の戦い 曹操 勝利

 

曹操軍は官渡の戦いで袁紹(えんしょう)を破り、河北平定戦を開始します。曹操軍は、袁紹の息子袁譚(えんたん)を南皮城に追い詰め、曹純もこの包囲戦に参加していました。

 

しかし、袁譚は城から打って出て、死に物狂いで反撃し、曹操軍を打ち払います。この戦いで、大きな被害を被った曹操は態勢を整えるため、一度退却しようと諸将に提案します。

 

しかし曹純は「袁譚はわが軍に勝利した事で、油断しているはずです。そして我々は敗北した事で慎重さを取り戻しました。

慎重なわが軍が油断しきっている袁譚に負けるはずはありません」と曹操に進言を行うのです。

 

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曹操は曹純の進言を取り入れる

郭嘉を採用する曹操

 

曹操はこの進言を取り入れて、再び南皮城に赴き、激しい攻撃を行います。袁譚は、この猛攻に耐えきれず城を捨て逃亡します。

 

曹純は袁譚が逃げたことを知り、虎豹騎を率いて、追撃を開始し、袁譚を見事に討ち取るのです。曹操は彼を大いに褒め、曹純の武略が諸将に認められました。

 

【魏のマイナー武将列伝】
魏のマイナー武将列伝

 

虎豹騎を率いて、鳥桓討伐でも戦功を立てる

烏桓

 

曹純は袁譚を討ち取った2年後、虎豹騎を率いて鳥桓討伐戦に従軍します。

 

郭嘉

 

曹操は郭嘉(かくか)から「兵は神速を貴ぶものです。そのため輜重を後方に置き、騎兵をもって鳥桓軍を急襲するべきです」との進言を受け、

虎豹騎を筆頭に騎馬隊など動きやすい軍勢で、進軍します。

 

白狼山の地で両軍は決戦を行った。

この戦いは遭遇戦で、統率に欠ける鳥桓軍は大混乱になります。

 

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曹操軍の先鋒を率いていた張遼と虎豹騎

張遼 カカロットーーーー!

 

曹操軍の先鋒を率いていた張遼(ちょうりょう)は、自軍の騎馬隊を混乱させる事無く、鳥桓軍を次々に破ります。

 

また曹純も自慢の虎豹騎で猛攻をかけ、鳥桓軍の将軍蹋頓を捕縛する大功を立てます。この戦いで鳥桓軍は壊滅的なダメージを受け、鳥桓諸軍を率いていた王は斬られました。

 

白狼山の戦いにおける功績と袁譚を討ち取った功績が評価され、侯の位と領地を与えられ、曹操軍の中で曹純が認められた瞬間でした。翌年の荊州平定戦にも曹純は同行し、新野から逃亡した劉備軍への追撃任務を与えらます。

 

曹純は劉備軍を長坂で捕捉して打ち破る事に成功するのです。この時、劉備の娘や大量の輜重、捕虜などを得ました。

曹純は、捕虜を後続の軍に預けさせ、引き続き虎豹騎を率いて、江陵城を陥落させます。

 

曹純の最期と虎豹騎の後任

みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

曹操軍の中核をなす人材として、期待されていた曹純ですが、江陵城を陥落させた2年後に、曹純は亡くなるのです。

曹操は曹純が亡くなった後、彼が率いていた虎豹騎は、曹休と曹真(そうしん)が受け継ぎ、率いていたそうです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

曹純は虎豹騎を率いて戦場を駆け巡り、数々の武功を上げます。

彼は武略に優れ、猛将のイメージがあると思いますが、実は学問好きで学者を敬っておりました。

そのため、学者や食客が多数、彼の元に集まってきたそうです。

今回の三国志話会はこれで終わりです。

次回もまたお会いできることを楽しみしておりますにゃ

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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