曹純(そうじゅん)ってどんな人?曹操軍の騎馬隊長として戦場を駆け巡る

2015年11月11日


 

曹純

 

曹純(そうじゅん)が青年の時に父は他界します。

 

曹仁

 

兄貴であった曹仁(そうじん)は早くに家を出ていたため、曹純が父の資産を管理しており、里の者から大いに褒められたそうです。20歳の時、曹操(そうそう)に仕え、それ以来、精鋭騎馬隊「虎豹騎(こひょうき)」隊長で武略に優れた人物です。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操軍精鋭騎馬隊「虎豹騎」を率いる

曹操 魏王

 

曹操は精鋭騎馬隊である「虎豹騎」を率いておりました。しかし、戦場が拡大するにつれて虎豹騎を自らの手元に置いておくより、武略に優れた武将に率いてもらいたいと思っていました。

 

だが虎豹騎を率いるに相応しい武将が、中々見つかりません。しばらく悩みに悩んだ末、曹純に虎豹騎を率いさせる事にしました。曹純が虎豹騎の隊長に就任すると、部下の能力をしっかりと見極めて、日頃から可愛がりました。

 

そのため、部下も曹純を慕って彼の命令をしっかりと聞き、強力な騎馬隊に成長しました。

 

 

 



南皮城攻略戦で大活躍

官渡の戦い 曹操 勝利

 

曹操軍は官渡の戦いで袁紹(えんしょう)を破り、河北平定戦を開始します。曹操軍は、袁紹の息子袁譚(えんたん)を南皮城に追い詰め、曹純もこの包囲戦に参加していました。

 

しかし、袁譚は城から打って出て、死に物狂いで反撃し、曹操軍を打ち払います。この戦いで、大きな被害を被った曹操は態勢を整えるため、一度退却しようと諸将に提案します。

 

しかし曹純は「袁譚はわが軍に勝利した事で、油断しているはずです。そして我々は敗北した事で慎重さを取り戻しました。

慎重なわが軍が油断しきっている袁譚に負けるはずはありません」と曹操に進言を行うのです。

 

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曹操は曹純の進言を取り入れる

郭嘉を採用する曹操

 

曹操はこの進言を取り入れて、再び南皮城に赴き、激しい攻撃を行います。袁譚は、この猛攻に耐えきれず城を捨て逃亡します。

 

曹純は袁譚が逃げたことを知り、虎豹騎を率いて、追撃を開始し、袁譚を見事に討ち取るのです。曹操は彼を大いに褒め、曹純の武略が諸将に認められました。

 

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虎豹騎を率いて、鳥桓討伐でも戦功を立てる

烏桓

 

曹純は袁譚を討ち取った2年後、虎豹騎を率いて鳥桓討伐戦に従軍します。

 

郭嘉

 

曹操は郭嘉(かくか)から「兵は神速を貴ぶものです。そのため輜重を後方に置き、騎兵をもって鳥桓軍を急襲するべきです」との進言を受け、

虎豹騎を筆頭に騎馬隊など動きやすい軍勢で、進軍します。

 

白狼山の地で両軍は決戦を行った。

この戦いは遭遇戦で、統率に欠ける鳥桓軍は大混乱になります。

 

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曹操軍の先鋒を率いていた張遼と虎豹騎

張遼 カカロットーーーー!

 

曹操軍の先鋒を率いていた張遼(ちょうりょう)は、自軍の騎馬隊を混乱させる事無く、鳥桓軍を次々に破ります。

 

また曹純も自慢の虎豹騎で猛攻をかけ、鳥桓軍の将軍蹋頓を捕縛する大功を立てます。この戦いで鳥桓軍は壊滅的なダメージを受け、鳥桓諸軍を率いていた王は斬られました。

 

白狼山の戦いにおける功績と袁譚を討ち取った功績が評価され、侯の位と領地を与えられ、曹操軍の中で曹純が認められた瞬間でした。翌年の荊州平定戦にも曹純は同行し、新野から逃亡した劉備軍への追撃任務を与えらます。

 

曹純は劉備軍を長坂で捕捉して打ち破る事に成功するのです。この時、劉備の娘や大量の輜重、捕虜などを得ました。

曹純は、捕虜を後続の軍に預けさせ、引き続き虎豹騎を率いて、江陵城を陥落させます。

 

曹純の最期と虎豹騎の後任

みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

曹操軍の中核をなす人材として、期待されていた曹純ですが、江陵城を陥落させた2年後に、曹純は亡くなるのです。

曹操は曹純が亡くなった後、彼が率いていた虎豹騎は、曹休と曹真(そうしん)が受け継ぎ、率いていたそうです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

曹純は虎豹騎を率いて戦場を駆け巡り、数々の武功を上げます。

彼は武略に優れ、猛将のイメージがあると思いますが、実は学問好きで学者を敬っておりました。

そのため、学者や食客が多数、彼の元に集まってきたそうです。

今回の三国志話会はこれで終わりです。

次回もまたお会いできることを楽しみしておりますにゃ

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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曹操孟徳

 

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