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秦の始皇帝はどんな顔をしていたの?政はユダヤ人だった?

2016年9月6日


 

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政

 

大人気漫画、キングダムで、主人公の一人として、かつて誰も果たした事がない

中華統一の覇業に挑む、秦王政(せい)、彼こそが後の秦の始皇帝ですが、

彼には、出生の秘密や皇后の名前が分らないなど多くのミステリーがあります。

実は、それらのミステリーを解くカギは彼の顔にあるかも知れないのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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始皇帝本紀に書かれた恐ろしい始皇帝の面相

始皇帝

 

史記の始皇帝本紀、六には、始皇帝の顔について、以下のような説明があります。

 

秦王為人,蜂准,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心,

翻訳:秦王の面相は、鼻が高く、目が長く、くまたかのように胸が突き出し、

豺(山犬)のような声をし、虎狼のような残忍な心を持っている。

 

心については、置いておくとしても、鼻が高く、目が長く、胸が突き出している

と言う容貌から連想されるのは、中国人というより中央アジア人か白人種のようです。

ここからは、始皇帝が当時の秦人と違った容姿を持っていたという

情報が読み取れるかも知れません。

 

始皇帝の父も、また変わった容貌をしていた・・

 

始皇帝の父は、子(しそ)という名前で知られています。

しかし、これは後の名前で、趙の人質としてやってきた

最初の頃の名は異人(いじん)と言いました。

 

異人の異とは、象形文字では、鬼の面を被った人を意味していて

仮面を被ると別人格になる事から、異なる、普通ではない

と言う事を意味しています。

 

呂不韋

 

この異人は、王族とはいえ、母方の後ろ盾がなく、

いつ死んでもいいという捨て駒の扱いで趙に飛ばされ、

大商人、呂不韋(りょふい)が目をつけるまでは、

王族とは思えない、貧しい暮らしをしていたそうです。

 

後ろ盾がないという事は、母は卑しい身分であるか、

外国人の踊り子など放浪する存在であり、その為に異人の容貌は

他人とは、大きく異なっていたという可能性も捨てきれません。

 

つまり、異人は、白人種か中央アジア出身の母を持ち、

余りに父王と顔が違うので疎まれ、趙への人質という運命を

背負わされたのではないか?と思うのです。

 

秦が置かれた甘粛省は、西域民族との文化の十字路

 

秦が置かれた甘粛省は、西域に向かって道が延びていて、

中華民族から見れば、辺境の扱いでした。

 

それは、つまり、秦には古くから、中央アジア、地中海、

インド方面から多種多様な人種が流入してきた事を意味しています。

実際に甘粛省の永昌県には、古代ローマ兵を先祖に持つと言われる

ワシ鼻の人々が多く存在します。

 

ローマ兵うんぬんの真偽はともかく、彼らが遺伝子レベルで、

中央アジア、地中海人、或いは白人種の特徴を受け継いでいるのは事実なのです。

また、始皇帝兵馬俑には、民族的に異なる容貌を持つ秦兵が存在し、

これも秦が漢民族のみならず、多くの民族を受け入れた多民族国家で

あったという一つの根拠なのです。

 

※古代ローマ兵と漢の兵士は戦っていた?詳しくはここをクリック↓

 

 

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実は、今から4000年前、東西の民族は混血していた!

 

かつては匈奴(きょうど)の活動範囲であったタリム盆地にある

新疆ウイグル自治区小河墓地から発掘された4000年前の

中国最古のミイラが、最近の研究により、すでに遺伝子的に

東西民族の混血が起きていた事が確認されました。

 

ここで、お馴染み、はじさんイラストですが、

これは、そのタリム盆地で出土した黄金の仮面の模写です。

 

タリム盆地の仮面

 

いかがでしょうか、長い目に高い鼻、なんとなく、

始皇帝の容貌のイメージに近くないでしょうか?

 

研究では、4000年前には、東西の民族は

タリム盆地で出会い、そして、混血が生じたと結論づけています。

 

タリム盆地が勢力範囲だった匈奴は、秦にも攻め込んで、

被害をもたらし、始皇帝は、蒙恬(もうてん)将軍に

万里の長城を築かせて、匈奴を防ぐように指示しています。

 

それは、匈奴の略奪の結果、混血が生じ、秦にも白人の血が混ざった人々が

いた事の一つの証拠にならないでしょうか?

 

始皇帝はバビロン虜囚のユダヤ人の血をひいていた?

アケメネス朝

 

アケメネス朝ペルシャ(紀元前550~紀元前330年)は、

中央アジアから中近東、地中海にまたがる大帝国でイスラエルから連行してきた

バビロン虜囚と呼ばれたユダヤ人を使役しています。

ペルシャ帝国の領域の東は、ウズベキスタン、トルクメニスタン、

アフガニスタン、パキスタンにも跨っていました。

 

ペルシャ帝国は、秦とは隣接していませんが、時代は、

中国の春秋戦国時代に重なり、同時代に存在した帝国です。

それに、帝国の東の範囲は、中央アジアで遊牧民が闊歩する土地でした。

 

或いは、ペルシャ帝国で使役されていたユダヤ人で脱走した人間が

秦に逃げ込んだか、または、匈奴のような遊牧民に拉致された者が

奴隷として商人に売られ、その一部が秦まで到達したかも知れません。

 

始皇帝の特徴である高い鼻が、ユダヤ人に特有のワシ鼻の表現だとしたら、

もしかしたら、始皇帝はユダヤ人の血を引く人であったかも知れません。

 

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キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

始皇帝がユダヤ人というとギャップから、ゲッと思いますが、

2200年前のユダヤ人は、民族離散の前で、

今のような混血が進んでいないので、中央アジアの人と

そんなに顔つきが変わらなかったりします。

エジプトというと、私達はハリウッドの影響で、白人種のクレオパトラを

イメージしますが、彼女はギリシャ系であり、古代エジプト人は、

白人種もアジア人種も黒人種も存在します。

元々エジプト自体が、西洋、中近東、東洋が混じる場所にあり、

人種の混合が早くから進んでいたからなのです。

 

そもそも、当時、肌の色がどうのこうのという差別は無かったので

自分が白人、黄色人種、黒人種なんて意識する事も無かったのでしょう。

ちなみに、私達の感覚では、仏像からアジア人のようなイメージの

釈迦は白人であると主張する人もいますよ。

 

 

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