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連合軍宛城包囲と皇帝擁立
連合軍は劉縯(りゅうえん)の活躍によって宛城に到着すると、早速この地を包囲します。
宛城を包囲している間に連合軍の幹部達は王莽政権に対抗するためには、
こちらも皇帝を立てて対抗しようではないかとの意見が盛んに出始めます。
そこで彼らは誰を皇帝に擁立すればいいのか人選を開始。
連合軍が漢王朝復興を大義名分としていることから劉氏を皇帝に仕立てようと考えます。
その結果劉秀の兄である劉縯と平林軍に属していた劉玄(りゅうげん)が選ばれることになります。
劉縯と劉玄では功績の点で圧倒的に劉縯の方が活躍していることから、
彼と共に反乱軍に参加していた劉秀や舂陵軍の諸将と王常は劉縯を皇帝にするべしと
彼を押します。
しかし平林軍の諸将は劉縯のような勲功もあり、
優秀な人物を皇帝にしてしまうと自分達がやりたい放題できなくなる可能性が高いと感じ、
あまり優秀でない劉玄を皇帝にするべしと推挙します。
この議論は中々決着がつきませんでしたが、劉縯が劉玄に皇帝の位を譲ったことによって、
決着が付きます。
こうしてこの連合軍は劉玄を皇帝にして、彼を更始帝と名乗らせます。
そして連合軍は更始帝の軍勢として生まれ変わることになります。
王莽の反撃
王莽は劉氏が関東(函谷関より東のことを指す)一帯で反乱を起こして、
各地の城を攻略して勢力拡大をしていることを知ると激怒。
彼は大司空(だいしくう)である王邑(おうゆう)と大司徒(だいしと)王尋(おうじん)を呼び
「お前らに軍勢を与えるゆえ、関東にはびこっている賊を討伐してこい。
とりあえず更始帝とかいう賊は一番早くに倒し、更始帝配下にいる劉縯は必ず殺害せよ」と
命令を出します。
王莽は並外れた武勇を持って官軍を撃破し続けている劉縯を恐れておりました。
その為彼は二人に賊軍討伐を命じると共に、劉縯の殺害も命じます。
100万の軍勢昆陽城へ
王邑と王尋は王莽から100万の軍勢を与えられると賊軍が駐屯している昆陽へ向けて進発。
この軍勢は途中で劉縯に敗北した軍勢を吸収します。
こうしてこの空前絶後の大軍勢は昆陽城へ到着すると何重にも渡って包囲し、
アリが出る隙間もないくらいの重囲を完成させます。
ここで劉縯に敗北した厳尤将軍が大司空である王邑に
「昆陽はちっこい城ですが、守りが固く攻め落とすのに時間が掛かりましょう。
そこで宛城を攻撃している更始帝軍へ軍勢を割いて攻撃すれば、
更始帝軍は宛城の軍勢と我らの軍勢に挟撃される危険を悟って退却するでしょう。
そうすればこの昆陽も降伏すると思います。」と進言します。
しかし王邑は「バカ野郎。昆陽にこもっている軍勢はたかだか数千ではないか。
この100万の軍勢で、落とすことができなければ天下の笑い物になってしまうぞ」と言って却下します。
こうしてこの軍勢は軍を分けることなく全軍で昆陽城を包囲する作戦を継続します。
13騎で100万の軍勢を突破
劉秀は昆陽城の諸将から推戴される形で守城になります。
すると彼は100万の軍勢で守備軍が数千しかいない状況では勝ち目がないと感じます。
そして彼は諸将の中から王常と王鳳(おうほう)を呼んで
「私はこれから近隣の城を守っている諸将へ援軍を出してくれるようにお願いに行ってきます。
それまで王鳳どのと王常どのが力を合わせてこの城を守ってもらいたい」とお願いします。
すると彼らは「わかった。あんたが戻ってくるまでここで待っているよ」と言って承諾。
劉秀はこうして後の事を彼らに託すと諸将の中から13騎を選んで出陣します。
劉秀がチートたる所以はこの援軍要請へ行くために敵軍100万へたった13騎で突っ込み、
この13騎を1騎たりとも欠けることなく突破に成功したことです。
このような馬鹿げた敵中突破を見事に成功させたことも、
劉秀がチート的な能力を持っている所以で、高評価をもらっている原因の一つでしょう。
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