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王莽の政策は失敗したけど、光武帝の政策はなぜ成功したの?

2021年1月10日


 

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簒奪する王莽

 

今回は光武帝(こうぶてい)……というより、光武帝と王莽(おうもう)について、お話をしていきたいと思います。王莽と言えば漢王朝(かんおうちょう)を終わらせた、皇位奪者(さんだつしゃ)

 

漢王朝と光武帝

 

そして光武帝と言うとその漢王朝復興を成し遂げた人物。しかし実はそんな二人にはある共通点が……というのが、今回のお話です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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王莽

王莽

 

王莽と言えば漢王朝から禅譲(ぜんじょう)され、新王朝の皇帝となった人物。この王莽について少し解説していきましょう。元々、王莽の叔母に当たる王政君(おうせいくん)元帝(げんてい)の皇后になったことで王莽の一族の権威は高まっていったのがきっかけです。

 

しかし王莽もこの時点で大出世した……という簡単なストーリーではありません。王莽の父、その後継者の兄が早死したことで王莽は侯に取り立てられることはなく、王莽の家は貧しかったのです。

 

儒教の教えを大切にした若き王莽

 

王莽は儒教(じゅきょう)の教えを受けたことで身を慎むことを学び、目上の人物を大事にしました。また兄の子を実子以上に可愛がったと言います。この儒教に関しては後々も出てきますので、ひとまず置いておきましょう。

 

王莽による皇位簒奪に至るまで

地盤を固める王莽

 

紀元前22年、伯父が倒れ、王莽は検診的に看病しました。叔父の王鳳(おうほう)は死の際に王莽を成帝(せいてい)に託しますが、ここから王莽の道が開けます。
しかし成帝死後、王氏(おうし)を嫌った哀帝(あいてい)によって王莽は一時政治の場から遠ざけられるも、復帰嘆願が多くあったことで再び返り咲き、哀帝が早逝すると平帝(へいてい)を擁立、自分の娘を嫁がせ皇后にすることで地盤を固めます。

 

世論を操作する王莽

 

王莽について反発する声も少なくない中、王莽は世を味方にするべく実子二人を自殺に追い込み、各地から王莽支持の嘆願書を出させることで世論を操作。

 

ダークサイドに堕ちた王莽

 

自らの敵を次々と排除した王莽は最終的に自らが皇帝に即位。ここに新王朝が開かれます。

 

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王莽が目指したのは儒教国家?

疫病が蔓延した村と民人

 

しかし王莽が終わらせた漢王朝は、決して上手く運営されていたとは言えませんでした。王朝の財政は悪化しており、民の中でも貧富の差が大きく、民衆には既に不満と不安は広がっている状態でした。

 

怒る村人 三国志

 

なので新しく皇帝となった王莽は新しく政策をいくつか行うのですが、これらの政策は儒教に基づいて行われました。ですが実際に王莽がやった政策は儒教の名を借りただけの物であり、急ぎ過ぎた政策は多くの不満と不安を増大させるものとなったのです。王莽の政策に関しては次にいくつか説明しましょう。

 

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王莽の政策とは?

庶民、村人の家

 

まず土地制度改革。これは地方豪族となっていた各所の地主から土地を取り上げ、小作農たちに与え、豪族らの奴隷売買を禁止し、奴隷の解放など一見すると理想的に見える政策ですが、豪族たちは大反発を起こすことになります。

 

村人 ショッピング

 

次に商業政策として前漢の時代から行われていた塩や酒の専売特許、これを国の特許として強化したことで物価を安定させるように取り組みました。しかしこれは商人たちの反感を産むことになります。また同時に金融政策も行い貨幣の発行をしましたが、急にやり過ぎたことで市場の混乱を招きました。

 

皇帝に即位する王莽

 

そして外交見直し、名称見直しによって多くの反感だけでなく、各所で混乱を呼ぶことになります。このため歴史においても王莽の政策は評価が低く、王莽自身の評価も、漢王朝からの簒奪者ということも相まってかなり低くなっています。

 

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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