あの曹操が憧れた? 後漢建国の祖・光武帝は実はお茶目だった

2021年1月24日


 

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簒奪する王莽

 

前漢の時代は王莽(おうもう)による皇位簒奪によって終焉を迎えます。しかしそんな(かん)王朝の復興を成し遂げた皇帝、その名は光武帝(こうぶてい)

 

光武帝

 

挙兵してから五年も経たずに皇帝となった光武帝、勇猛果敢(ゆうもうかかん)で苛烈な性格をしており、部下たちも恐れていた……ということはありませんでした。今回は光武帝のかなりお茶目な性格が分かるエピソードをご紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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光武帝の血筋

光武帝(劉秀)陰麗華

 

まずはその立場から再確認。光武帝は景帝(けいてい)の七男で長沙(ちょうさおう)となった劉発(りゅうはつ)の末裔です。とは言え皇族として裕福な生活は送れず、家は地方の貧乏貴族の一人だったようで。

 

牛に乗って登場する光武帝(劉秀)

 

幼い頃は引きこもり気味なのでそれをからかった人も少なからずいたとか。しかし王莽による皇位簒奪(さんだつ)から各地の反乱、兄の蜂起に付いていくと「劉秀(りゅうしゅう)(本名)が行くなら」と付いていく者が多くいるなど、その優秀さの片鱗に気付く者は多くいたと思われます。

 

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皇帝に至る

光武帝(劉秀)

 

兄と共に寡兵で王莽の大軍を打ち破り、各地で名を挙げるも警戒され、新しく皇帝となったのは更皇帝。更皇帝によって兄が謀殺され自らも危険になるも、心中を隠し難を逃れる劉秀。彼は河北(かほく)で名を挙げ、独立。

 

劉秀(光武帝)

 

そして四回ほど部下に言われてから(恒例行事)皇帝となり、漢王朝の復興を成し遂げます。こうして世に名高い光武帝が生まれました。

 

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光武帝

 

若かりし頃の夢

劉邦はヤンキー

 

さて劉邦(りゅうほう)が若かりし頃、始皇帝の行列を見て

 

「男たるものああならなくちゃいけねぇなぁ」と言っていたのは有名ですが、光武帝もまた若かりし頃にその夢を語っていました。

 

「官を得るなら執金吾(しつきんご)、妻を娶らば陰麗華(いんれいか)

 

現代風に意訳すると「職に付くなら警察長官(地方)、嫁にするなら陰麗華」という意味です。

 

陰麗華(女性)

 

後にこの夢を語った通りに美人の陰麗華(いんれいか
)
を妻にし、この夢を語った以上の地位である皇帝となったのが流石光武帝、というべき存在ですね。

 

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光武帝の仰天エピソード

 

そんな光武帝の面白、仰天エピソードがあります。当時、都では暗殺者が横行し、危険でした。

 

刺客が多いのに夜の町中を微行する光武帝

 

当然ながら皇帝という位置になった光武帝から見ても大変危険です。しかし光武帝はこれを気にせず、軽装で遊びに出かけ、帰りが遅くなることはザラでした。

 

 

当たり前のことですが部下が(いさ)めますが、光武帝は聞きゃあしません。余りにも聞かない光武帝に部下の方がキレました。

 

夜中に帰ってくる光武帝を注意する家臣たち

 

部下は光武帝を締め出したのです。おうちに帰れない光武帝は仕方なくその日は野宿しました。

 

怒った家臣に閉め出された光武帝

 

おうちに帰れない光武帝は仕方なくその日は野宿しました(二回目)

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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