編集長日記
ビジネス

はじめての三国志

menu

三国志の雑学

【軍師連盟】魏の名君・曹叡が長生きしたら司馬一族の天下取りは不可能だった?

この記事の所要時間: 240




曹叡

 

実は曹叡(そうえい)の病死した歳は36歳という説と34歳というふたつの説があります。

陳寿(ちんじゅ)の説が正しければ36歳ということになりますが、

これだと曹操(そうそう)の息子の曹丕(そうひ)が、

落城した鄴城にいた甄皇后を略奪する前ということにもなります。

つまり甄皇后は前夫である袁熙の子をその腹に宿していたことになるのです。

 

曹叡

 

曹叡が実は曹丕の子ではなく、袁熙の子ではないかと疑われているのはそのためです。

甄皇后は曹丕にとって年上女房でしたが、曹丕が一目惚れして妻として迎えました。

敵将の妻を側室ではなく妻にすることに曹操も難渋しましたが、

曹丕の固い決意を見て了承したといいます。

しかし、あるときを境に甄皇后は曹丕の寵愛を失います。

甄皇后は西暦221年に曹丕から自害を命じられ、

柩におさめることを許されず、髪を振り乱した状態で口にぬかを詰められて葬られました。




屈折した愛情

曹丕 残忍

 

継母となったのは郭皇后という女性でした。

彼女が死んだとき、曹叡は生母である甄皇后が受けた仕打ちと同じような状態で葬ります。

生母の仇討ちの心情だったに違いありません。

それ以前に、曹丕はある時期を境に曹叡を家臣たちの前に出すことをしなくなりました。

曹操は孫である曹叡を可愛がり、

「わが基はこの子で三代となる」と明言したほどその才を愛しましたが、

魏の初代皇帝となった文帝(曹丕)はその死の直前まで曹叡を皇太子に認めませんでした。

曹丕はいつしか我が子である曹叡が袁熙の子であると疑い始めたのかもしれません。

それが果たして誰の入れ知恵なのか……。恐らくは側近の誰かなのでしょう。

曹丕の側近には陳羣や呉質、そしてあの「軍師連盟」の主役となる司馬懿がいました。




二代目皇帝・明帝

曹叡

 

曹叡は24歳で即位します。明帝の誕生です。

生母である甄皇后に皇后の位を追贈したのはこのときです。

諡号は文昭皇后。

明帝は祖父である曹操譲りの才を持っていたとされています。

戦いでは呉の侵攻を迎撃し、蜀の諸葛亮孔明の北伐に対し司馬懿などを指揮して対処し、

独立した遼東の公孫淵も追討の命令を下してこれを討ちます。

軍師連盟にもこれらの場面は細かく描かれることでしょう。

 

宮殿 労働者

 

明帝の内政の腕もまずまずでしたが、

諸葛亮孔明が病没してからは緊張の糸が切れたように無謀な命令を下すようになります。

洛陽の宮殿である御苑を大規模工事し、築山のために群臣を動員します。

さらに後宮にたくさんの女性を集めました。

無理に離縁させて宮女とさせた例も多くあったといわれています。

これらの暴挙に反発心を覚える臣もかなりいたことでしょう。

明帝は猛反発を買いながら西暦239年に病死します。

太子は素性がよくわかっていない曹芳で、わずか8歳で即位しています。

後見役に指名されたのは曹氏一族の代表として

曹爽(曹真の子で、実際は曹氏の血脈ではない)と実績のある官僚・司馬懿でした。

 

曹芳を廃する

司馬師

 

西暦254年、23歳となった三代目皇帝・曹芳を廃したのは司馬懿の息子である司馬師(しばし)です。

司馬氏の政敵と繋がった曹芳が邪魔になったというわけです。

司馬氏は司馬懿が西暦249年にクーデターを起こして曹爽を処刑してからというもの、

常に権力の中枢にありました。

よって皇帝を廃するほどの力を司馬氏は有することになったのです。

次代の皇帝になった曹髦は司馬氏の専制に憤り、

西暦260年にクーデターを起こして20歳の若さで返り討ちにあい、殺されます。

こうして魏の国は完全に司馬氏の手に握られることになります。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

曹氏の衰退には曹氏の評判を落とす暴挙や失政がありました。

それを裏で誘導したのが側近である司馬懿であったとするならば、まさにしたたかです。

しかも表舞台では司馬懿は戦場で活躍し、実績と名声を手にしています。

曹叡は名君の品格を備えていましたが、素性が複雑で、

少年の頃に生母を失ったトラウマもあって口吃で、寡黙だったそうです。

歪んだ愛情表現は引き継がれ、曹叡自身も正室の毛皇后に死を賜っています。

果たして曹叡が長命だったとして、魏の国は健全に発展したのでしょうか。

むしろ司馬氏のつけ入る隙が大きくなったのではないでしょうか。

曹丕、曹叡の才ではやはり司馬懿には太刀打ちできません。

であるならば、司馬氏の隆盛は自然の流れだったに違いありません。

司馬懿を真に抑え、操縦できたのはその才に匹敵する曹操だけだったのではないでしょうか。

軍師連盟でもその繋がりはきっと語られることになるでしょう。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 孫策・周瑜の断金の交わりを生み出したのは袁術のおかげだった!?
  2. 権力者の重圧?酒癖の悪かった呉の孫権
  3. 三国志の人々の精神に影響を与えた論語(ろんご)って何?
  4. 馬良(ばりょう)って何した人だっけ?意外な馬良の役割と任務に迫る…
  5. 頭がキーン…頭痛に悩んだ曹操、三国志演義は医学的に正しかった?曹…
  6. 長友佑都の「アモーレ」発言!後漢の時代でも普通に使われていた?後…
  7. 龐統の死後、その一族はどうなったの?魏に降った一族たちの数奇な運…
  8. 領土割譲という大事件、三国成立は魯粛の目論見?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 中国古代四大美人のひとり貂蝉はどうやって生まれたの?
  2. 迷信を利用して統治を行った魏の西門豹(せいもんひょう)に迫る!
  3. 三国時代の経済ってどうなってたの?
  4. 【日本史の嘘】長篠の合戦は鉄砲三段撃ちのワンサイドゲームでは無かった?
  5. 崔琰(さいえん)は曹操に仕える前はいったい何をしていたの?
  6. 廬毓(ろいく)とはどんな人?曹氏三代に仕えた公平な人物

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志の書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

【週間まとめ】はじめての三国志ニュース18記事【5/15〜5/21】 【涼州の錦vs魏の文官】果たして勝ったのはどっち? 劉備は旅好きだったのか!?北から南へ大移動の真相 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース13記事【7/4〜7/10】 孫権の後を継ぐのは私なんだから! 孫家のドロドロした後継者問題 68話:劉表死す、そして偽の遺言書で劉琮が後継者に 劉備は劉安という人物の妻を食べたの?食人文化と明清時代の風習 理不尽すぎてもはや笑える、デマのせいで殺された孫奉(そんほう)

おすすめ記事

  1. 始皇帝の法治国家を助けた韓非と李斯って何でいがみ合ったの?
  2. 【食客には無駄な人材はいない!!】孟嘗君の脱出劇が名言として登場
  3. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第十七話「消された種子島」の見どころ紹介
  4. 司馬懿の名言から分かる!曹爽との権力争いを分かりやすく紹介!「駑馬、短豆を恋う」
  5. 李孚(りふ)とはどんな人?度胸と勇気は三国志一の魏のマイナー文官
  6. 官渡の戦いを終戦に導いた許攸(きょゆう)は偉大なの!?
  7. これは可哀想。。嫌な上司と呂布の謀略の為に死んだ正史の華雄(かゆう)
  8. 思わず「やりすぎだろ」と声が出る!脳筋・呂布が袁術にたかる方法が現代でも使える【ビジネス三国志】

はじさん企画

李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP