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これぞ重箱の隅!三国志の時代の調理具・食器特集!

2016年10月24日


 

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料理人

 

三国志演義では、よく描かれる宴会の風景、しかし、そこで使用される

食器・調理用具の類までは、細かく説明される事はまずありません。

しかし、他所で説明されないなら、こちらで説明してみせようというのが

はじさん魂!というわけで周の時代から唐の時代まで使用された、

様々な食器についてイラスト付きで解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一番、有名な調理器具、鼎(かなえ)

鼎

 

鼎は、「鼎の軽重を問う」など、珍重され過ぎて最後には

国家を指し示すまでになった調理用具です。

元々、鼎は、脚の下から火を焚いて、肉や魚などを煮込む鍋でした。

中国では大牢と呼ばれる、最高のご馳走三種、牛、豚、羊の肉も

鼎で煮込むので、やがて、権力と富の象徴として神聖視されるようになりました。

 

また、鼎は青銅という錫と銅の合金で鉄よりも高価でした。

重い物では1トン近くあるなど簡単に動かせない代物で、

その為に鍋の淵に耳がついています。

かつてはここに棒を差し込んで、大勢で担いで動かした名残です。

 

果物などを盛ったのか?籩(へん)

籩

 

鼎とは対照的に、竹を編んで造られたのが籩です。

竹製品という事から考えて、生臭い物は腐ってしまうので入れられません。

恐らく乾いた食品や、果物などを盛るのに利用されたと考えられます。

土台が膨らんでいるので、個体では重い食品が盛られたと考えられ、

やはり果物が多かったように思います。

 

豆と書いて、たかつきと読む!

豆

 

豆は、一本足で蓋がついた木製の食器です。

蓋があるという事は、羹(あつもの:スープ)を入れたという事で、

案の定、付属品として匕(ひ:スプーン)がセットされています。

昔は、年齢によって豆を出す数が決まっていたようで、

年長者には、より多くの豆が出され尊敬を表しました。

 

今でいう、お櫃(ひつ)だった箪(はこ)

箪

 

こちらも竹製品ですが、籩よりはずっとコンパクトです。

この中には粟や黍、米のような主食が入っていました。

孔子の言葉にも、一箪の飯、一瓢の水という言葉があり、

箪の中には飯が入っていた事が窺えます。

 

今の感覚だと、竹の表面に飯がひっつきそうですが、

当時は穀物を炊かずに蒸していて水分が多くないので、

べったりとはくっつかなかったと思います。

※文字の制約で、箪としか出ませんが、実際は竹の下に□□が入ります。

 

瓦で出来た食器、鉶(けい)

鉶

 

今までの食器に比べて、角はあるわ、脚はあるわの

奇抜なデザインが、この鉶という食器の特徴です。

瓦製という事ですから、耐火性があるので熱く煮えた肉などを

入れていたのではないかと思います。

鼎と同じく、奇抜な文様が刻んである事から高貴な食器であり、

料理人は、鼎で煮た熱々の肉を切り分けそれぞれの客の鉶に

分けていたのかも知れません。

 

もっとも粗末な食器 瓢(ひさご)

瓢

 

瓢は、ひょうたんの中身を取り去って造った簡単な食器です。

もっとも貧しい人間の食卓にもあがるので、

一番ランクの低い食器として扱われていました。

瓢は半分に割らないで瓢箪として天然の水筒にしたり、

酒を入れたりもしています。

カンフー映画の酔拳を見れば、瓢が出てくるのが分かります。

 

昔懐かしい、お膳にあたる案(あん)

案

 

案は、日本でも少し前までは存在した膳の事です。

どうして、こんなものがあるのかと言うと、

当時は椅子もテーブルもなく、食事は案に乗せられて、

運ばれてきたからです。

イラストでは、大きさは分かりませんが、高さは座った人の

腰程度しかなく、座って食事をするのに便利な造りです。

 

案は宋の時代に入り、生活が椅子とテーブルの生活になると

廃れて消えていきました。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

周の時代から連綿と続いた、鼎や豆、鉶、籩という食器は、

中国が椅子とテーブルの時代になる遅くとも北宋の頃から、

生活に合わなくなり廃れていくようになります。

 

三国志 英雄たちの宴

 

しかし、三国志の時代なら、ズバリで存在していた筈で、

劉備(りゅうび)曹操(そうそう)孫権(そんけん)は、

このような食器や調理器具に囲まれて食事をしていたのです。

 

これらとは別に、お酒を注いだ甕、玉觶(ぎょくし)や龍を象った

尖った酒杯、觥(こう)などがありますが、食器ではないので、

これらは日を改めて紹介しましょう。

 

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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はじめての孫子の兵法

 

 

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