中国における仏教の受容は、前漢時代にまで遡るようですが、
公的な記録として残っているのは、西暦68年に洛陽に立てられた白馬寺(はくばじ)が最初です。
このお寺は、中央アジアの外国人僧侶が経典を持ってきて建立された本格派で、
様々な逸話があるのですが、今回は、そんな白馬寺を紹介しましょう。
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この記事の目次
秋田県じゃないよ、洛陽の白馬寺だよ!
ネット検索すると秋田県の白馬寺が出てくるのですが、
こちらは、本家の白馬寺とは関係ないようです、気になる人は調べて下さいね。
洛陽の白馬寺は、河南省洛陽市街から東へ十二キロほどの所に位置していて
北に邙山(ぼうざん)を臨み、南は洛川(らくせん)に向いています。
白馬寺は、古い名前として「金剛崖寺」という古称を持っていて、
中国第一の古刹(こさつ:由緒ある寺)として中国の仏教徒の尊敬を集めています。
その理由は、このお寺が出来た歴史的経緯と関係があります。
後漢の二代皇帝、明帝の夢の中に金色の人が登場
白馬寺の創建の歴史は、後漢の二代皇帝、明帝の夢から始まります。
西暦64年のある日、明帝は夢で頭が光り輝く金の人の夢を見ました。
「不思議な夢だが、これは、きっと仏教の神に違いない!」
確かにそうでしょうね、金色で頭が輝くなら宇宙人か仏様でしょう。
どうやら、明帝は、この時点で仏教を知ってはいたようです。
父の光武帝同様に、スピリチャルな現象が好きだったのか?
目が覚めた明帝は、家臣に命じて、はるばる大月氏(だいげっし)国まで、
使者を派遣して有り難いお経を頂こうとします。
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大月氏国から二人の名僧が洛陽にやってくる
明帝の使者は、1年の歳月を費やし、中央アジアの大月氏国まで行くと、
「どうか、名僧と経典を与えてください」とお願いします。
※別の話ではインド説もあるのですが、移動時間を考えると、
中央アジアではないかと思うので、大月氏国説を取ります。
当時の大月氏国は仏教王国、それは素晴らしい事だと快諾し
迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほうらん)という名僧と
四十二章経(しじゅうにしょうきょう)という有り難~い経典と
仏像を白い馬の背に乗せて洛陽に向かい旅立たせたのです。
それからまた1年、次々と襲いかかる困難を乗り越え
漢の使者と二人の僧、そして白馬は洛陽の都に到着します。
時に、西暦67年、明帝が夢を見てから3年が過ぎていました。
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明帝は、二人の僧に師事し白馬寺を建てる
明帝「おお!・・この二人こそ、夢に出てきた金色の人に違いない」
と言ったかどうか知りませんが、明帝は苦難を厭わず洛陽まで
やってきた迦葉摩騰と竺法蘭を尊敬して、師に対する礼を取り
さらに、二人を住まわせて仏教の経典を翻訳させる為に、
洛陽雍門の外に、白馬寺を建立しました。
どうして、寺の名前を白馬寺としたのかというと、
経典と仏像を背中に背負い苦労した白馬の事を称えたからです。
現在の白馬寺にも、この白馬の石像が安置されています。
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元々はインドのような高い仏塔だった白馬寺
さて、元々の白馬寺は、インド様式で高い塔を持つ建築物だったそうです。
これも、明帝が二人の僧を敬い、どこまでもインド建築風にしたという
事なのかも知れません。
しかし、三国志を知っている人には、説明不用な通り、
洛陽は、その後、董卓(とうたく)によって焼き討ちされ、
西晋に入っても、前趙の劉聡(りゅうそう)によって陥落させられ、
仏教寺院は焼き討ちされるなどで白馬寺は原型を留めず、
破壊と再建を繰り返しました。
現在の白馬寺は明の時代に造られたもので、
山門も内部も普通の中国寺院の姿になっています。
白馬寺の敷地は広大で、中国寺院ばかりではなく、ミャンマーの寺院や、
インド廟などもあって異国情緒溢れる姿になっています。
なんか、古刹のイメージが崩れてガッカリするのは価値観の違いでしょうか・・
ただ、何度焼けても、住所は全く変わらないで建っているので、
今でも、後漢の時代の台や井戸を探す事が出来るそうです。
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三国志ライターkawausoの独り言
全然関係ない話なんですが、、北斗の拳でお馴染み、北斗神拳は、
この洛陽の白馬寺で仏教徒の自衛の手段として誕生したという設定です。
元々は北斗宗拳という名称だったのが、西斗月拳という拳法と出会い
双方の拳法が融合する事で、経絡秘孔を突く事で敵を爆殺する
北斗神拳が生まれたという事です。
いやー白馬寺が北斗の拳に繋がるなんて、意外でしたね~
ヒャッハーー!!
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