馬場信春(ばばのぶはる)とはどんな人?鬼と呼ばれた武田四名臣の一人

2017年1月17日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

桃園三兄弟 劉備、張飛、関羽 vs 呂布

 

三国志の時代「鬼神の如き強さ」や「鬼神の如き働き」と呼ばれる呂布(りょふ)という人物がいました。彼は本当にものすごい強さで敵兵をバッタバッタと打ち倒して行きます。

 

武田二十四将(馬場信春)をメイン

 

日本の戦国時代にも「鬼」と呼ばれる武将が各地でちらほら出てきます。今回は武田家にいた「鬼」こと武田四名臣のひとりである鬼美濃(おにみの)馬場信春(ばばのぶはる)をご紹介したいと思います。

 

関連記事:暴走しているオヤジを追放して当主に就任した武田晴信(たけだはるのぶ)

関連記事:これぞジパングの国!武田信玄の金山採掘法と採掘された金の使いみちが気になる!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



初陣で敵将を討ち取る

武田騎馬軍団 馬場信春

 

馬場信春は当初武川衆と言われる部隊の一員として武田家に参加。彼は信玄が当主となってから行われた信濃攻略戦で初陣を飾ることになり、この初陣で敵将を討ち取る剛勇ぶりを見せます。そしてその後も戦に参加して活躍していくことになり、侍大将へ出世を果たすと共に家老衆に名を連ねることになります。この時与えられた兵数は山県昌景より少なく120騎ほどでした。

 



武田家の大戦にすべて参加して活躍

真田丸02(武田信玄)

 

信春は信玄から軍勢を与えられると信濃攻略戦を皮切りに多くの戦に参加しております特に信玄の生涯のうちで行われた大戦には必ず参加しており、有名な大戦だけでも上杉軍との激闘を行った川中島の戦い。

 

武田信玄-vs-上杉謙信

 

この川中島の戦いで信春は武田軍別働隊の総大将として軍勢を率いて戦いに参加しております。また今川家の領土である駿河(するが)へ侵攻した際の戦や北条軍との決戦である薩田峠(さつたとうげ)の戦いなど多くの戦いに参加して活躍しております。

 

鬼の誕生

武田信玄が作った甲陽軍鑑

 

信玄は多くの戦で活躍している馬場信春をある日呼びつけます。信春は緊張した面持ちで信玄の前に参上。信玄は信春がやってくると「我が武田家の重鎮であった原虎胤(はらとらたね)が隠居していることは知っているだろう。彼は現役時代鬼美濃と呼ばれて他国でも大いに恐れられた武将である。信春よお前もいくつもの戦で活躍しているが虎胤のような武将を目指すために、特別に美濃守(みののかみ)を名乗ることを許すゆえ精進せよ」と言われます。信玄の一声によって武田家臣では珍しく官職名を名乗ることをゆすされ、他国の大名から鬼美濃としてその戦上手を恐れられることになります。

 

壮絶な最後

自らの死を秘密にした武田信玄

 

鬼美濃こと馬場信春は大いに活躍してその名を高め、鬼美濃の名は他国の武将や大名から恐れられる存在になっていきます。

 

 

武田勝頼

 

武田信玄が西上作戦の途中で亡くなると、当主に若い勝頼(かつより)が就任。彼は父を信玄を超えるために領土拡張政策を無理に行っていき、主に徳川家の三河(みかわ)や遠江(とおとうみ)方面に幾度も出陣。この時信春も従軍しており、どの戦でも戦功を上げておりました。

 

大軍を率いて攻める武田勝頼

 

勝頼に領土を奪われ続けていた徳川家は同盟していた織田家へ援軍を要請。織田信長は武田家に大打撃を与えるため、長篠の地へ向かいます。兵数で劣勢であった勝頼ですが、武田の強さを信じて徳川・織田連合軍を叩き潰そうと考えて長篠の地で決戦を行おうと考えます。しかし重臣であった信春は決戦をやめるように勝頼に訴えます。

 

火縄銃を撃つ侍(鉄砲)

 

だが勝頼は信春の意見を採用しないで長篠へ向かいます。この戦いの結末は武田軍の大敗北で終了することになります。信春は若き当主勝頼を甲斐へ逃すために数10騎の軍勢を率いて殿として一番最後に撤退を開始。

 

麒麟にまたがる織田信長

 

追撃してくる徳川軍や織田軍と壮絶な戦を展開して勝頼が逃げる時間を稼ぎます。しかしたった数10騎では追撃してくる大軍に勝てるわけなく、鬼美濃と言われた馬場信春は討ち死にしてしまいます。彼が殿としていなければ勝頼は甲斐に戻ることができなかったかもしれません。

 

戦国史ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

馬場信春は生涯で多くの戦に参加しており、戦に参加した回数はなんと70回以上にのぼり、この大小含めた70回の戦の中で一度もかすり傷を負わなかったそうです。鬼と呼ばれた人物がどれほどすごいかお分かりになるであろうと思います。三国志の武将達にも引けを取らない馬場信春をご紹介しました。

 

参考文献 武田信玄 吉田龍司著など

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-戦国時代 (日本)
-,