北の異民族に備える後漢末期の国境警備兵達、
それでも戦争がない時は平和か?と言えば事実はそうではありませんでした。
徴発される農民兵とは違い、採用された役人には、勤務評定があり、
出来次第では、クビという事もあったからです。
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この記事の目次
後漢の時代、行政年度は10月1日から始まり翌年9月末日に終わった
中国人はその巨大な人口と領土を効率的に運用する為に、
行政機関を早い時期から発展させていました。
そして、2000年前には、世界でもっとも進んだ官僚機構を生み出します。
いわゆるお役所仕事の弊害もこの頃にはすでに存在していたのです。
さて、そんな後漢時代の行政は仕事始めを10月1日、
仕事納めを翌年の9月末日としていました。
ですので、勤務評定は仕事納めになる9月に行いました。
当時は旧暦ですから現在で言えば、10月、秋に行われたという事になります。
出世に直結した恐怖の射撃訓練「秋射」とは?
辺境を守る当時の国境警備隊、例えば、董卓(とうたく)が任された
西域戊己校尉(せいいき・ぼき・こうい)は、羌族に対応して置かれた
辺境部隊を統括するポストですが、ここでも役人が置かれる以上は例外なく、
全国一律の勤務評定はあったのです。
勤務評定は、「功」という手柄ポイントと「労」という勤務日数、及び
仕事に取り組む態度、保有資産などで、総合的に評価されていました。
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軍隊組織とは言え、この辺りは、一般の役人と違いは無かったのです。
しかし、その中の勤務日数に関わる労には、一般の役人とは無縁の
「秋射(しゅうしゃ)」という、大規模な射撃テストが存在しました。
これが、辺境に勤務する役人達の昇進に関わったのです。
命中率が低いと降格、クビもあり得た恐怖の秋射
秋射は、文字通り、漢の年度末の9月に実施された弩による射撃訓練です。
後漢の時代、歩兵の装備は、機械式の弓である弩が一般的でした。
弓の訓練は、モノになるのに時間が掛りますが、弩なら飛距離が無い欠点はありますが
標的さえロックオンできれば反動も小さく、命中率が高かったからです。
秋射は、功令の第45条に明確に規定されていました。
士・吏、燧長・侯長は令の定めに従い、秋に射のテストを行う。
六発の命中を標準とし、六発を越えれば一発につき、15日の
勤務日数を加算する。
ここで言う、燧長(すいちょう)は、一つの見張り台を守る部隊長で、
4~5人の農民兵を統率する隊長、最低ランクの吏です。
侯長(こうちょう)とは、この燧長、十数名を統括する部隊長を意味しています。
士や吏は、戦闘には基本従事しない事務官ですが、
結局、非常時を考えて、射撃訓練を免れる事は出来なかったようです。
十二発弩を放ち、六本命中すれば、ノルマクリア、以下だと・・
秋射は、その勤務評定のボーダーラインを12発中から6発命中としていました。
資料が乏しく、具体的に的までの距離などは分りませんが、騎兵である羌族相手なら
20メートル位は、最低命中できないと相手に先に射殺されると思います。
秋射のボーダーラインである6発の命中を上回ると、勤務日数が15日加算され
全弾命中なら、90日が加算される計算になります。
一方で、6発のボーダーを下回ると、1発につき、勤務日数が15日減算される
という厳しい結果になり、かりに1発も命中しないなら、90日の勤務日数が
減らされる事になるのです。
最悪だと半年は休んだのと同じというキツイペナルティ
なんだ、全弾外れても、90日の減算か、なんて軽く考えてはいけません。
当時の兵士は、年に322日位出勤していますが、
そこから労に加算されるのは180日なのです。
つまり、弩を全弾ミスると、皆勤しても、半年は休んでいるのと同じ
だと算定されてしまうのです。
現代の会社でも、病気で一年の半分を欠勤したら、出世は無理でしょう。
もちろん、勤務評定は、労ばかりではなく、功や勤務態度、
保有財産を勘案するのではありますが、皆勤しても半年欠勤扱いなら
上司の覚えが目出度いわけはありません。
弩の腕前が無いばかりに、同僚には出世で追い抜かれ、
やがて後輩にも追い抜かれ、万年、ヒラ燧長として、
うだつのあがらないまま定年を迎えてしまうのです。
そんな人達にとって秋射は恐怖の的だったでしょう。
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三国志ライターkawausoの独り言
当時の木簡史料を見ると、45歳や50歳で、燧長をしている役人が
出てきますが、このような人々もあるいは、秋射でしくじった
イケテナイ役人だったのかも知れません。
真面目に勤務しているのに、ただ射撃の腕がないだけで、
出世が阻まれるなんて、三国志の時代って怖いですね~!
恐ろしいですね~!
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