馮煕(ふうき)とはどんな人?曹丕の脅迫に屈しなかった呉の外交官でもあり光武帝配下・馮異の子孫

2017年2月18日


 

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鄧禹と光武帝

 

光武帝・劉秀(りゅうしゅう)の配下に馮異(ふうい)と呼ばれる人物がおりました。彼は学者顔負けの知識と優れた指揮能力をもって多くの戦に参加し活躍し、雲台二十八将に選ばれることになります。名将馮異の子孫が呉へ仕えおり、外交官として活躍していたことを皆さんご存知でしたか。彼の名前は馮煕(ふうき)と言い曹魏へ使者として赴くことになります。しかし彼は呉に帰還することなく魏で亡くなってしまうのです。この悲劇の外交官馮煕を今回はご紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「大樹将軍」の子孫は呉に仕える

曹操と荀彧

 

馮煕は荀彧(じゅんいく)郭嘉(かくか)らと同じ頴川郡(えいせんぐん)の出身。彼は後漢初代皇帝である光武帝に仕えた馮異の子孫でした。馮異は自分の功績を他人に語らず勲功を称する場には参加しないで、大樹の下で座って場をやり過ごしておりました。その為兵士からは「大樹将軍」として慕われることになります。馮異の死後彼の子孫は頴川郡に居を構えてここで暮らしていくことになります。その子孫である馮煕は中原が戦乱で激しくなってきた時に、戦乱を避けて江東へ移ります。江東の主であった孫権と出会ったことがきっかけで、彼に仕えることになります。

 



劉備の弔問使として蜀に赴く

劉備

 

馮煕はその後自らの実力を孫呉で示してい来ます。孫権に仕えてから5年の歳月が過ぎたある日、彼は孫権に呼ばれます。孫権は彼に「蜀の皇帝であった劉備が亡くなったそうだ。そこで君に弔問使として蜀へ行ってもらいたい」と命じられます。馮煕は快諾し、準備を整えてから蜀へ行きます。彼は劉備が亡くなった永安城へ到着すると二代目皇帝である劉禅に拝謁し、お悔やみを述べます。劉備死後、蜀の人心が動揺しているのかを見極めることも今回の外交の任務に入っていると考え、しっかりと見極めますが、蜀の家臣達は全く動揺している素振りを見せませんでした。その後呉に帰還して孫権に「蜀の国内はしっかりと固まっており、動揺している気配は感じられませんでした。」と報告。孫権は友好関係にない状態で蜀へ乗り込み蜀の内情を見てきた馮煕の考えを聞いて、大いに喜び彼を中大夫に昇格させます。

 

外交官として魏へ向かう

 

孫権は蜀から荊州を奪うために魏へ臣従しておりました。その為定期的に魏に使者を送って友好関係を築かなくてはなりませんでした。孫権は魏に使者を派遣するため馮煕を呼び「君に魏へ行ってきてもらいたい」と命じます。すると馮煕はさほど考えずに快諾し魏に向かいます。しかし彼は魏へ行ったことで、運命が大きく変わってしまうことになります。

 

曹丕の質問攻めその1:「蜀と再度同盟する気か」

曹丕

 

魏に到着するとすぐに曹丕へ会見したい旨を伝えます。するとさほど時間を開けずに「すぐ会おう」と返答が帰ってきます。こうして馮煕は曹丕が待っている宮殿に向かいます。曹丕に拝謁するとすぐに「孫権はなぜ蜀へ使者を送ったのであろうか。魏へ臣従して末永く付き合っていく気があるのであれば、軍勢を率いて蜀へ攻め込むべきであろう」といきなり責められます。馮煕は毅然とした態度で「蜀に使者を派遣したのは友好関係を築くためではありません。蜀から使者が来たので、その返礼の為に使者を送ったに過ぎません。この蜀の使者は蜀の内情をしっかりと見聞し、弱点を見極めるための使者であって、友好関係構築のための使者では決してありません。」と強気に反論。この反論を聞いた曹丕は蜀へ使者を送ったことに対して、再び質問することはありませんでした。しかし曹丕の質問攻めはまだ続くことになります。

 

曹丕の質問攻めその2:呉の国をどう思う

曹丕 残忍

 

曹丕(そうひ)は呉の使者である馮煕(ふうき)に「呉は最近、災害が起きて兵糧が取れなくなっているそうではないか。また人材も少なくなっている状態だと聞いているけど、そろそろ呉もやばくなってきていると思わない」と質問。すると馮煕は「いやいや呉王は聡明で人材を適材適所に配置しております。政治や軍事に携わる人材は多くいるので、人材が少なくなっているわけではありません。また呉王は家臣を公平に見ているので、褒美や罰則に偏りはなく家臣達も呉王へ忠誠を誓っています。陛下は江東で災害が起きて、国が弱っていると仰られておりましたが、決してそのような事はございません。呉の国は兵糧をしっかりと蓄えているので多少の災害ではビクともせず、災害が起きても民へ食べ物を与えていると聞き及んでおります。訓練されてた兵士も多く数十万の兵士がせめて来てもしっかりと防御を固めているので、そう簡単に攻略することはできないでしょう。こうした考えから私は呉が弱っていると思えません。」と答えます。曹丕はこの答えを聞くとイラっとしたのか彼を下がらせてしまいます。

 

馮煕を魏に仕えさせようと考える

撃剣を使う曹丕

 

曹丕は馮煕の毅然とした態度とビビることなくしっかりと考えを述べる姿を見てイラっとしますが、彼のような臣下を呉へ返しては必ず魏に取って災いをもたらす人物になると考え、馮煕と同じ出身である陳羣(ちんぐん)を呼び「馮煕と君は確か同じ出身だったよね。あの硬骨漢を我が配下になるよう説得してきてもらいたい」と要請。陳羣は曹丕の命令に応じて馮煕を説得しに行きます。しかし馮煕は陳羣の説得に応じず、魏の臣下になることを拒絶。陳羣から「馮煕へ魏に加わるように何度も説得いたしましたが、彼は魏の家臣になる様子はありません」と報告します。この報告を聞いた曹丕は頭にきて彼を呉に帰れないように軟禁状態にします。そして再び曹丕は馮煕に「私の元へ来るように」と使者を送ります。

 

魏の配下になるくらいなら・・・

 

馮煕は曹丕からの使者から話を聞くと「分かりました」と快諾して帰します。彼は部屋に帰ると「このまま曹丕の元へ行けば、強制的に家臣になるよう脅迫されてしまう。魏へ降るくらいなら、いっそ自殺して抵抗するしかない」と考えを決めると、彼は近くにあった剣を取り出して自殺を図ります。たまたま付き添い部下が馮煕の様子を見に来た所、彼が血まみれになって転がっている姿を見てすぐに治療を開始。その結果治療は成功し、馮煕は自殺することができませんでした。

 

涙を流して馮煕を褒める孫権

孫権

 

孫権はこの話を家臣から聞くことになります。すると彼は感動のあまり家臣の前で泣いてしまい「彼こそ前漢の時代、匈奴に監禁されても匈奴に降伏しないで、使命を果たして漢へ帰ってきた蘇武(そぶ)に匹敵する外交官である」と大いに褒めたたえます。しかし馮煕と蘇武の違いは馮煕はそのまま魏に囚われに近い状態になって、ついに呉へ帰らずにそのまま魏の国で亡くなってしまったです。呉の国のメンツを潰さずに死ぬまで呉の使者であることを貫き通した人物でした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

呉に忠節を尽くした人物は多くいるでしょう。しかし外交官として呉に忠節を尽くして他国で亡くなったのは、馮煕が代表的な人物なのではないのでしょうか。この忠義にあふれた人物は三国志演義に書かれていないため、三国志を知っている人の中でもひとにぎりの三国志マニアしか知らない武将であると思います。だが、このようなマニアックな武将達が国の為に働いていたことで、国家は安泰になっていくのであろうと思います。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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