今回は方向性を少し変えて三国志演義におけるお話をしたいと思います。
三国志演義は劉備・主従達が建国した「蜀」正義者として描かれており、
曹操が建国した「魏」は悪役として描かれております。
そんな三国志演義ですが、
諸葛孔明が五丈原で亡くなる間際に残した秘策があったのを皆さんご存知でしたか。
孔明が残した秘策の名前は「錦嚢の策(きんのうのさく)」と言われる作戦です。
今回はこの諸葛孔明が残した錦嚢の策をご紹介したいと思います。
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諸葛孔明死す
孔明は第一次北伐~第五時北伐までの総司令官として魏軍と熾烈な戦いを行ってきました。
そんな彼は戦いの他にも蜀の丞相として蜀の政治も担当しており、
非常に大変な労働を行っておりました。
そんな彼は第五時北伐戦の時に過労が重なり、病にかかってしまいます。
孔明は自らの病が治らないことを感じ取ると物資や事務作業を担当していた楊儀(ようぎ)を
呼びます。
孔明は楊儀がやってくると「私がもし亡くなって魏延(ぎえん)が反乱を起こした時にこの嚢を開けよ。
その時の対応策を記してある」と伝えます
その後孔明は陣中で息を引き取ることになります。
楊儀が蜀の軍権を握ったことに激怒
孔明がなくなると物資補給や事務作業等をしていた楊儀が蜀の軍権を握ることになります。
楊儀が軍権を握ったことに激怒したのが魏延(ぎえん)です。
魏延は楊儀とは険悪の中で、
軍議で楊儀が魏延の意見に反対意見を述べると剣を突きつけて脅したことがあったそうです。
魏延は大嫌いな楊儀が蜀の軍権を握ったことに激怒し、
蜀軍から勝手に離脱して反乱を起こします。
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王平の呼びかけで兵力激減
魏延は反乱を起こすと楊儀の軍勢を追いかけて彼をブチ殺すために兵を率いて漢中へ
向かっていきます。
しかし途中で王平率いる蜀軍と遭遇。
王平は「オメェら~!!魏延は謀反人だぞ!!奴に味方する価値はねぇ!!こっちへ来い」と
投降を誘ってきます。
この結果魏延の軍勢は激減してしまい、
魏延と共に行動していた馬岱(ばたい)軍しか残りませんでした。
馬岱は魏延に「南鄭城(なんていじょう)攻略へ向かったほうがいいのではないのでしょうか。」と
進言。
魏延は馬岱の進言に従って南鄭城へ向けて進軍を開始します。
「錦嚢の策」発動
楊儀は魏延が南鄭城へやってくると城壁に佇み魏延の軍勢を見ます。
そして彼は孔明からもらった錦の嚢を開けると中に作戦が書いておりました。
魏延軍が南鄭城に到着すると楊儀は魏延へ「貴様がもし「俺を殺せる奴がいるか」と
三回叫ぶことができたならお前にこの城をくれてやる」と大声で叫びます。
魏延も負けじと「ばかやろうが!!俺を殺せるやつなどいるわけないだろう!!」と吼えた後、
魏延は楊儀の言葉を言います。
しかし魏延が楊儀の言葉をすべて言い終わることはありませんでした。
なぜならば馬岱が魏延の言葉に反応して「お前を殺すのはわしだ!!」と叫んで
彼を斬り殺してしまったからです。
こうして魏延の反乱は終幕を迎え、
孔明が楊儀に残した作戦を後世「錦嚢策」として呼ばれることになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
孔明が残した「錦嚢の策」は三国志演義にしか出てこない作戦です。
正史三国志ではこのような作戦は一切存在していないので、
ご注意を。
しかし三国志演義は色々なエピソードがあり、
三国志が初めての人でもすんなりと三国志の世界にハマることができる書物ではないのでしょうか。
みなさんも年末年始時間があれば漫画の三国志でも読んでみてはいかがですか。
漫画の三国志は基本的にベースは三国志演義を使用しているので、
中々面白いと思いますよ
参考文献 三国志 勝つ条件 敗れる理由 加来耕三著など
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