三国志一の兵力と領土、国力を有することができた曹操(そうそう)。
三国志一の人気で、勇猛な将軍や天才軍師など様々な文官・武官を登用して、
曹操軍と張り合い続けてきた劉備(りゅうび)。
曹操と劉備ですが、部下と君主の関係にどのような違いがあるかご存知でしょうか。
ここでは曹操軍と劉備軍の君主と部下の関係性についてご紹介していきたいと思います。
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この記事の目次
曹操軍における君主と部下の関係性:主従関係がしっかりとしている
曹操軍の君主と部下の関係性の特徴的なところは曹操と部下の主従関係が、
しっかりと区切られている点です。
だれだれの子孫だから出世させてやるだとか、
勤王の志を持っているから君の進言を取り上げてやるだとかの贔屓は一切ありませんでした。
曹操軍では曹操の命令を受けた者は全力で命令遂行のために邁進していくことになっており、
曹操の命令に一定以上の成果を出すことができなければ、降格もしくはクビになってしまいます。
しかし曹操の命令に一定以上の成果を出すことができたのであれば、
出世や褒美をたんまり貰うことが可能でした。
また曹操軍の中でも曹操の血族である夏侯氏(かこうし)や
曹操の従兄弟である曹洪(そうこう)、曹仁、親衛隊長であった許褚(きょちょ)達には、
感情的な結びつきもあったかと思われます。
劉備軍における君主と部下の関係性:侠気溢れた関係性
劉備軍における劉備と部下の関係性の特徴的なところは、
侠気溢れる関係性であったところではないでしょうか。
劉備・関羽・張飛の三人は義兄弟としてともに生涯を乗り越えていく約束をしておりますし、
劉備が亡くなる間際にスーパー軍師である諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)に託した
「もし劉禅に君主たる器がなければ君が蜀の君主となるべし」と自分の息子を差し置いて、
孔明に君主となって励むべしと伝えるところはまさに侠気が溢れていないとできないでしょう。
曹操軍の君主と部下の関係性の一例:曹操と荀彧の関係性
曹操軍の主従関係の一例として曹操と荀彧の関係性を挙げたいと思います。
曹操は荀彧が自らの元に馳せ参じてきたとき大いに喜んで、
「我が子房なり」とはしゃいだそうです。
しかし曹操が愛したのは荀彧の能力であって彼の志ではありませんでした。
荀彧の志は後漢王朝を復興させることにありました。
そのため曹操が赤壁の戦いに敗北した後に、意見の食い違いが所々発生してしまいます。
一説には曹操の目指すものと荀彧の目指すものが食い違い、
曹操が荀彧を毒殺したとの説もあるくらいです。
曹操と荀彧の関係性が示すとおり曹操は主従関係をしっかりとしており、
部下を使用する側である曹操は才能のみを愛して、
部下の志までは受け入れようとしませんでした。
劉備軍の君主と部下の関係性の一例:劉備と関羽の関係性
劉備軍における侠気あふれる君主と部下の関係性の一例として、
劉備と関羽の関係性を挙げたいと思います。
関羽は劉備から荊州(けいしゅう)を任されることになりますが、
樊城(はんじょう)攻略戦の末期に同盟国であった孫呉が同盟を破棄して
荊州へ攻撃を仕掛けたため、関羽は討ち死にしてしまいます。
劉備は関羽死亡の知らせを受けると激怒して孫呉を叩き伏せるべく出陣します。
蜀と孫呉が争ったところで利益はなく、魏だけしか喜びません。
しかし劉備は自らの義兄弟が孫呉に討ち果たされたことに激怒して、
利益や損益などを一切無視して孫呉へ攻撃を仕掛けるのです。
まさに侠気溢れた行動であり、
劉備軍団の魅力あふれる特徴的な部分と言えるのではないのでしょうか。
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三国志ライター黒田レンの独り言
今回は曹操軍と劉備軍の君主と部下の関係性についてご紹介させていただきました。
曹操軍は徹底的に主従関係を明らかにしたことで、
三国一に国土を領有することができたのでしょう。
反対に劉備軍は国土・兵力・経済などなどどこをとっても曹操軍に勝つことはできないですが、
侠気あふれる組織を作り出した事でかなり魅力的な軍団ができたように思えます。
参考文献 岩波書店 中国人物列伝 井波律子著など
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