はじめての三国志

menu

はじめての蜀

三国志では何故、最初に蜀が滅びたの?

この記事の所要時間: 250




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志あれこれ」のコーナーです。

 

今回は前回に引き続き三国志の終焉の様子について触れていきます。

 

 

三国「魏」「蜀」「呉」の中で最も早く滅んだのが蜀になります。

西暦263年のことです。劉備が建国して約40年の月日が過ぎていました。

ひとつの国が40年で滅ぶというのは何か不思議な感じがしますね。

日本の歴史と大きく違うのは、これが政権交代ではなく、国が変わるということです。

この感覚は日本人にはないかと思います。日本では天皇はずっと天皇です。

あくまでも替わるのは政治を司る幕府だったり政府です。

天皇制が廃止され、日本ではなくなるというのはイメージできないですね。

ここが日本と中華の全く異なる点ではないでしょうか。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

前回記事:三国志の結末(最後)ってどうなるの?




蜀の二代目皇帝

 

劉備の跡を継いだのが息子である劉禅です。

評価はどこでもだいたい同じですね。一言でいうと「暗愚」。

劉禅のせいで蜀が潰れたという話はよく聞きます。

劉禅についてはまた今度じっくりと語りたいので、今回はあまり触れません。

蜀の滅ぶ時の皇帝が劉禅だったということだけは確認しておきたいと思います。

ちなみに劉禅の側近は宦官の黄皓(こうこう)でした。かなり信頼はされていた人物です。

もちろん蜀崩壊のきっかけを作ったのが黄皓みたいなものですから後世の評価は最低です。

黄皓は蜀が滅亡した後、賄賂によって生き延びたという説と、

五体を切り刻まれて処刑されたという説の正反対のふたつがあります。

劉禅はきっちり生き残り、寿命をまっとうしました。




無血開城という決断

 

無血開城といえば、日本では江戸幕府が滅ぶときの姿を連想します。

このとき15代将軍徳川慶喜は謹慎しており、陸軍総裁の勝海舟が官軍の西郷隆盛と交渉。

江戸城を開城し、降伏することで、江戸に住む民150万人の命を救いました。

潔く降伏することで無駄な血を流さずに済むことは、互いにとって得のある話ではあるのですが、

やはりここには武門の意地があります。

戦わずに降伏するなど恥であると考える人も多くいたのが現実です。

無血開城はなかなか難しい決断といえます。

このとき、成都に迫っていたのは魏の鄧艾軍でした。

 

 

魏の他の部隊は成都から遠い剣閣という要衝で蜀の名将・姜維に足止めをくらっている状態です。

鄧艾はかなりの強行をして陰平から山間の険路を越えて、

江油に出ましたが、兵糧は尽きようとしていました。

蜀は籠城すればまだまだ勝機があったともいえます。

しかし劉禅は降伏するのです。

 

二度の恥辱

 

このとき劉禅を説き伏せたのが蜀の名士・譙周(しょうしゅう)です。

譙周は劉禅に三択で迫ります。

ひとつは南への逃亡。こちらのリスクは異民族が多い点です。

いつ魏に内応して反乱するかわからない状態でした。

ひとつは呉への逃亡。おそらく快く受け入れてくれるはずですが、

そうなると劉禅は皇帝ではなくなり呉の臣下となります。

勢いにのった魏がさらに呉を滅ぼしたとき、劉禅は再度この恥辱を味わうことになるのです。

恥辱を一度にするために、譙周は最後の提案をします。

それが魏への無血開城でした。

劉禅は大いに悩みますが、結局、魏に降ることを決断します。

 

蜀の臣

 

蜀の臣のリアクションはどうだったのでしょうか。

姜維のような最後まで徹底抗戦を主張するものもいます。

劉禅の息子の劉諶は祖先の廟で自刃して果てました。

しかし多くの臣や民がほっとしたのではないでしょうか。

彼らにとって主が誰かなどさほど問題ではないからです。

それよりもこれで戦争がなくなり、平穏が訪れることに希望をもったかもしれません。

 

関連記事:もし姜維が魏に残り続けていたら蜀はどうなった?魏では出世できた?

関連記事:姜維が北伐をしなかったら、あるいは北伐を成功させていたら蜀漢は長続きした?

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

以前も書きましたが、蜀の臣や民には魏に降り合併されることを望んでいたものが多かったようです。

もしかすると劉禅もそうだったかもしれませんね。

無益な戦いに意義を見い出せないひとは今も昔もたくさんいたのではないでしょうか。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 卑弥呼の謎!曹爽と卑弥呼には関係があった!?
  2. 106話:関羽 傲慢すぎて魏と呉の秘密同盟のきっかけに
  3. 三国志一騎打ちの強さベスト10!一騎当千は誰だ!
  4. 三國無双では女性が戦闘しているが本当に史実でも戦っていたの?
  5. 秦宓(しんふく)とはどんな人?口先プロフェッショナルの人生
  6. はじめてのプロ野球(三国志風)日本のプロ野球は人材の宝庫?
  7. エリート袁術が逃げ込んだド田舎の揚州に住む異民族とはどんな民族だ…
  8. もし呂布が曹操に斬首されず助命されていたらどうなったの?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. え?曹操が荀彧に三顧の礼?民間伝承の三国志が面白い!
  2. 孫策、旧勢力に恨まれ無念の死を遂げる
  3. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース30記事【6/12〜6/19】
  4. 黄月英(こうげつえい)はどんな人?実は名前さえ分からない謎の女性
  5. 三國クロスサーガ~蒼天の絆~とはどんなアプリゲーム?
  6. 【コワいモノ比較】アメリカ人は悪魔、フランス人は狼、中国人は○○!

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" “広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

秦の始皇帝ってどんな人だったの?青年期編 涼州兵も思わずニッコリ?曹操はユーモアに溢れていた 【祝】月間150万PV達成!はじめての三国志より感謝の言葉 【西楚覇王項羽】彼の性格は○○で、○○の高さは誰にも負けない人物だった 国淵(こくえん)とはどんな人?三国志時代にも名探偵は存在した!魏のシャーロック・ホームズ 【はじさん編集部】第2話 三国志なんか読むな!(泣)新橋の夜に吠える はじ三の犬達 130話:孔明無言の帰還と魏延の最後 趙雲子龍は何歳だったの?五虎大将軍の年齢に迫る!

おすすめ記事

  1. これが久秀の碁!熊野山に立て籠もる湯浅氏を退却させた、曲者部隊のデコボコアタック!
  2. 【センゴク】何で信長は比叡山焼き討ちをしたのか?
  3. 【お知らせ】はじめての三国志メモリーズに魏延を追加しました
  4. ええっ?こんなに大変だったの!献帝の東遷を地図で徹底解説
  5. 【春秋時代ミステリー】春秋時代に残るホラー話
  6. 大発明!耕しながら戦う曹操のフロンティアスピリット
  7. 武田軍の西上作戦はなぜ失敗してしまったのか?武田信玄の病が関係していた?
  8. 白眼視の元になった竹林の七賢の阮籍、三国時代の故事成語

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“邪馬台国"
PAGE TOP