ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志のテクノロジー」のコーナーです。
三国志の時代は戦国の世です。
戦争は日常茶飯事で、どれほどの人間が戦場で殺められたかしれません。
戦争になると大切なのは兵力や兵糧とともに、「武器」があげられます。
現代でも核ミサイルという最強最悪の武器を巡ってトラブルが絶えません。
武器は戦争において人間を殺めるためのとても大切な道具だからです。
それでは三国志の時代の武器はどのようなものだったのでしょうか。
今回は武器について掘り下げていきましょう。
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武将の武器
まずはなんといっても武将が愛用する得物を思い浮かべますね。
個性的な武器を使って、一騎打ちで相手を討ち取るのは三国志演義の醍醐味です。
それでは誰がどんな武器を使っていたのでしょうか。
呂布→最強の武将である呂布は「方天画戟」を使用していたそうです。
刺すことも薙ぐこともできるという一石二鳥の武器で、よく馬上で用いられました。
つまり矛と戈を合体させた画期的なものでした。
関羽→劉備の義弟として有名な関羽は「青竜偃月刀」を使用していました。
「冷豔鋸」とも呼ばれた大薙刀です。重さは82斤と約20㎏あり、
三国志に登場する武器のなかで最も重いとされています
(時代によって計算が違うので50㎏という説もあります)。
張飛→関羽と同じく劉備の義弟として有名な張飛は「蛇矛」を使用していました。
「丈八蛇矛」とも呼ばれています。名前の通り1丈8尺あったそうです。約4mになります。
普通の武器の倍の長さです(こちらも時代によっては計算すると6mになります)
関羽にしても、張飛にしても規格外の武器ですね。
さすがにこれを振り回されたら逃げ回るより仕方ありません。
伝説の武器
他にもいろいろな武器が登場しますが、その中でも伝説的な武器を紹介しましょう。
それが「青紅の剣」です。夏候恩が所持していたものですが、趙雲に討ち取られて奪われます。
鉄を泥のように斬ったといいます。まさに斬鉄剣です。
ちなみに「倚天の剣」と対をなしていたそうです。
こちらは曹操が所持していましたが戦場で活躍する機会はありませんでした。
夏候恩は曹操の寵愛を受けていて、この青紅の剣を譲り受けていたそうです。
劉禅(阿斗)の命を救ったときに趙雲がこの剣を使用しています。
趙雲に持たれたら鬼に金棒ですね。
武器といったら諸葛亮孔明
しかし、三国志で武器といったらやっぱりこの方「諸葛亮孔明」でしょう。
青紅の剣を見て思いついたのか、鉄を斬る剣を3000本作らせています。
作った刀匠の蒲元もたいへんだったことでしょう。
さらに身を守る鎧も開発しています。「五折剛鎧」というそうです。
今までの鎧よりも頑丈だったそうです。
ドラクエでいうところのどのレベルの鎧なのでしょうか。
鋼の鎧以上の防御力はありそうです。刃の鎧ぐらいかな。ドラゴンメイルとか。
さらに大量殺人兵器で八寸の鉄の矢を10本まとめて発射できる弩を作りました。連弩といいます。
発掘された蜀の弩機には「十石機」という弓を引く力が260㎏という強力なものも見つかっています。
これによって蜀の戦力は増強されたのですね。
いちゃもんをつける発明家
この諸葛亮孔明の連弩を見て、俺ならこの5倍の威力のものを作れると豪語した人物がいます。
魏の馬鈞(ばきん)です。
彼は調子にのって連発式の発石車も開発したそうですが、
なにせプレゼン能力が低かったようで、その性能の良さをアピールできず、棚上げにされています。
採用しなかったのは曹爽だったようですが、
この兵器を開発していれば司馬懿のクーデターも潰せたかもしれません。
馬鈞にはもっとプレゼン能力をつけてほしかった。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
ということで今回は三国志に登場する武器に注目してみました。
しかし、日本の戦場で連弩を使っていたとはあまり聞いたことがありませんが、
うまくその技術が伝来しなかったのでしょうか。
連弩は威力が低く日本製の鎧は撃ちぬけなかったとかという説もあります。
蛇矛を使っていた日本の武将はいたのでしょうか。
少し気になるところですね。
みなさんはどう思いますか。
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