諸葛孔明と並び称されるほどの才能を持っていた龐統(ほうとう)。
彼は益州攻略戦において劉備軍の軍師として活躍しておりましたが、
雒城(らくじょう)攻防戦の時に流矢に当たって亡くなってしまいます。
彼は軍略が得意なイメージを持っている方が多くいらっしゃると思いますが、
実は人を育てることに能力を発揮し、
人物評価をするのが得意であったことをご存知でしたか。
今回は意外な才能を持っていた龐統についてご紹介していきたいと思います。
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襄陽郡の役人になる
龐統は荊州(けいしゅう)の襄陽郡(じょうようぐん)出身の人物です。
彼は才能に秀でていたのですが、
顔がカッコよくなかっため用いられることがありませんでした。
しかし荊州の名士であった司馬徽(しばき)と会って朝から晩まで昨今の情勢や
色々な人物の評価など多岐に渡って語り合うことを
行ったことにより彼の運命が変化することになります。
司馬徽は兄として敬っていた龐徳公の元へ行き
「あなたの従子はとんでもなく優秀な人物ですな。」と言って褒めたそうです。
この言葉が襄陽中の名士達に広がっていくことになり、
襄陽郡の役人たちの元にもこの話が広まることになります。
そして司馬徽が龐統を褒めてから数日後、襄陽郡の役人に任命されることになります。
当時の名士達の力がどれほど強かったのか分かるエピソードですね。
部下を育てることに熱心な龐統
龐統は襄陽郡の役人になると部下を育てるために一生懸命努力します。
彼は部下を育てるためのコツとしてその人が持っている能力以上に褒めることで、
いいところを伸ばそうとします。
そんな龐統の人材育成法に不信感を持った同僚は彼に
「どうしてそんなに褒めるんだい」と尋ねます。
すると彼は「部下を褒めまくってやればその人の名誉を満たすことができる。
名誉を満たせばその人にやる気が起きて、
能力以上の力を発揮するかもしれないではないか。
もし例え、今私が10人抜擢して5人が脱落してしまったとしてもだよ、
仕事熱心な人物が5人も育てばそれでいいのではないのかな」と答えたそうです。
こうして龐統に抜擢された人物は彼に褒められてやる気を出したことで、
能力以上の力を示すことになるのです。
人物評価が得意な龐統
龐統は江陵を制圧した周瑜(しゅうゆ)が亡くなったと聞くと彼の葬式に参加し、
江東まで彼の遺骸を見送ったそうです。
その後彼は孫呉に仕えていた友人である陸績(りくせき)や全琮(ぜんそう)、
顧邵(こしょう)達から見送られることになりますが、
彼らと別れる前に少し語り合うことにしたそうです。
龐統は得意の人物評価を彼らに行います。
まず彼は陸績に「駑馬だけど早く歩くことのできる能力を持っているといえるでしょう」と述べ、
全琮には「あなたは施しを行い名声を得ることになりますが、
少し知略が足りないのが残念です。」と評価。
最後に顧邵へ「歩く速度はゆっくりですが、遠くまで荷物を運ぶことができるでしょう」と述べます。
彼らは龐統の言葉を胸に刻んで別れ際に彼へ
「天下が平和になったら皆で四海に散らばる人材を評価したりしたいですね」と
言って別れたそうです。
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三国志ライター黒田レンの独り言
龐統の軍略面以外の才能を今回はご紹介しました。
彼が行った人材育成法は、
現在の組織でも応用して使うことができるのではないのでしょうか。
怒られてばかりでは人間はやる気を削がれてしまう人が多いのではないのでしょうか。
そこで龐統のようにいっぱい部下を褒めてやる気を出させれば、
もしかしたら能力以上の力を発揮して、
仕事の能率アップを測ることができるかもしれませんね。
また彼が行った人材評価の点ですが、ちょっと分かりにくいのが残念です。
レンも他の資料等を見てみたのですが、どうしてもイマイチピンとしませんでした。
もし彼が行った顧邵と陸績の人材評価の意味がわかる方がいらっしゃれば、
教えていただければ幸いと思います。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など
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