漢中征伐は一人の漆黒の天才軍師・法正の進言によって行われた

2017年4月25日


 

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益州(えきしゅう)の劉璋(りゅうしょう)政権に眠っていた宝物である法正(ほうせい)

彼は劉備が益州に君臨すると劉備の片腕として活躍することになる人物となるのですが、

彼の進言がなかったら漢中征伐が行われなかったかもしれません。

今回は劉備が漢中征伐を行ったきっかけを作った法正の進言をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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法正がやってくる

 

劉備は益州を領有すると益州攻略戦で活躍した諸将に褒美を与え、

益州の名士や将軍達に官位を与えて元々いた劉備軍の幕僚達との融和を図ります。

そして荒廃した益州の内政を整えて国力の増加を図っていくことにします。

こうして数年が経ったある日、劉備の元に法正がやってきます。

彼は劉備に大事な進言を行うためにやってくるのですが、

彼にどのような進言を行ったのでしょうか。

 



天が与えたチャンスを失うなかれ

 

法正は曹操が居なくなった漢中の諸将を分析し、

魏軍の内部もしっかりと観察して漢中を占領するのは、

今が最大のチャンスであると考えます。

そして彼は劉備へ「殿。曹操は一回の攻撃で漢中の張魯(ちょうろ)を降す事ができたのに、

益州へ攻め込むことをしませんでした。

これは魏の内部で益州に遠征できない事件が起きたため、

益州遠征ができなかったと考えております。

さて曹操は益州遠征を行わずに漢中に張郃(ちょうこう)夏侯淵(かこうえん)など

勇将を駐屯させて北方へ帰還しました。

曹操が居なくなった今、

我が軍が総力をあげて漢中に攻撃を仕掛ければ勝つことは間違えないと考えております。

漢中を奪い我が軍が領有した後、兵糧を蓄えて兵士達の訓練を行い魏の隙を伺います。

そして魏軍に隙ができたらすぐに出陣すれば、

曹魏を打ち倒することも可能であると考えます。

もし曹魏を打ち倒することができなくても

涼州(りょうしゅう)・雍州(ようしゅう)を占領することができるでしょう。

また涼州・雍州二州を占拠することができなくても漢中の地を守って、

魏軍を迎撃することができます。

とにかく曹操が漢中から居なくなった今こそ天が与えてくれた最大のチャンスです。

どうか殿はこのチャンスを失うことなく掴んでいただきたいと思います。」と

進言を行います。

劉備は法正の進言を採用して漢中征伐を行うことになります。

法正は劉備の軍師として漢中征伐に従軍して、

漢中近辺の戦いで適切な進言を行い劉備軍を勝利へと導いていきます。

 

夏侯淵を斬り、定軍山を占拠

 

劉備は夏侯淵(かこうえん)がこもっている定軍山へ猛攻をかけます。

この時に法正は黄忠軍を指揮して夏侯淵を討ち取ることに成功し、

漢中の要衝である定軍山を占拠します。

曹操は夏侯淵が討ち取られたことを知ると自ら兵を率いて漢中へ出陣。

彼は行軍中側近へ「劉備が一人でこのような作戦を思いつくわけがない。

誰か優秀な軍師が彼の側に仕えているのだろう。

でなければ夏侯淵が簡単に討ち取られるはずがない」と漏らしていたそうです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

劉備は法正の進言に従って漢中征伐を敢行。

その結果、漢中を曹操軍から奪うことに成功し、漢中王として君臨することになります。

法正は劉備が漢中王に君臨すると尚書令に任命され、

劉備政権の要として重用されることになるのです。

しかし法正は尚書令に任命されてから一年後、病にかかってなくなってしまいます。

孔明は夷陵の戦いの時が勃発した時に「法正が生き残っていれば、

殿が孫呉と争うことはなかったであろう。

もし孫呉と争うことになっても殿が孫呉の軍勢にコテンパンにやられることは、

無かったであろう。」と嘆いたそうです。

孔明に認められるほどの才能を持っていた劉備の片腕・法正の進言をご紹介しました。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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