三国志の時代に傘ってあったの?始皇帝や光武帝、呂蒙も使っていた傘事情

2017年6月20日


 

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うーん、季節は梅雨ですねぇkawausoがいる沖縄では

2017年6月19日現在も絶賛大雨の真っ最中です。

雨と言えば、雨具や雨靴、傘なのですが、三国志の時代には、

現代のような傘は存在していたのでしょうか?

今回のすこやか三国志は、聞いた覚えがない三国志の時代の傘について

色々、探っていますよ。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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始皇帝の馬車についているアレは傘じゃないの?

 

始皇帝の兵馬俑などを見ていると、馬車の上に傘のようなものが

開いているのが確認できますが、あれは傘ではないのでしょうか?

実はアレ、傘ではなく車蓋(しゃがい)と呼ばれていました。

 

用途は雨をしのぐ事ではなく権力の象徴で馬車の上に開き威厳を示していました。

その証拠として貴人の馬車の車蓋は黒絹で防水性はゼロです。

車蓋は馬車から取り外す事が出来て、移動中も貴人に差し掛けていましたから、

やっぱり実用ではなく、威厳を示すアイテムですね。

 

おまけに車蓋は閉じる事も出来ません、ずっと開きっぱなのです。

 



光武帝が車蓋で恥をかいた記述

 

光武(こうぶ)帝が皇帝になり、馬車が封丘(ふうきゅう)という城に入ろうとした時、

城門が低くて、車蓋が天井につかえて通れず、恥をかかされた光武帝は

激怒して下役を鞭で打ったという記録が後漢書・虞延(ぐえん)伝にあります。

 

実は、この車蓋、高さが3メートルもあり、馬車の高さ

120センチと合せると4メートル20センチにもなります。

中型のトラックでも、高さ4メートルですから、

当時の馬車の全高は中型トラック以上という事になるのです。

 

それはさておき、高さ3メートルの車蓋は傘というより、

閉じないビーチパラソルの方が近い存在でしょう。

 

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三国志の時代には傘は無かったのか?

 

では、三国志の時代には、現代のような傘は無かったのでしょうか?

どうやら、当時は手に持つ傘よりも頭にかぶる笠がポピュラーだったようで

三国志 呉書 呂蒙(りょもう)伝には、官給の鎧を雨で濡らす事を嫌った

南陽出身の兵士が、民家の軒にあった笠を盗んで使用し、それを知った呂蒙が、

「窃盗は僅かな罪でも許されない」として斬罪に処した記録があります。

 

でも、考えてみると戦争に出ている兵士が片手の塞がる傘を差して

戦うなどという事はあり得ないような気がしますね。

他に傘の記録はないのでしょうか?

 

前漢時代の宦官 史游の書いた急就編に傘の記述が

 

前漢時代の元帝の配下に宦官の史游(しゆう)という役人がいて、

彼は、漢字練習用の教科書、急就(きゅうしゅう)編という本を書いています。

この急就編に注釈を書いた顔師古(がん・しこ:581~645)によると

 

「頭に乗せて雨を防ぐのを笠と言い、把(は:取っ手)がついていて、

手で持って雨を防ぐのをトウと言う」という一文があります。

 

 

このように、「竹」+「登」の漢字を当てたものが、

この時代の傘であるという事が出来ると思います。

但し、この時代の傘は閉じるという機能は持っていなかったようで、

そうだとすると保管は、かなり不便な感じですね。

 

三国志ライターkawausoの一言

 

傘というと、雨ばかりではなく、これに強風が絡むとキツイですね。

途中で折れてしまったら、ゴミになる上に、ずぶ濡れという悲惨な目に遭います。

でも、それは、傘の骨が八本と少ないからで、その倍の十六本骨の傘なら、

強風にも耐えて、傘が裏返るという大惨事も防ぐ事が出来ます。

 

もちろん骨が多い分、一般の傘よりも重いという難点はありますが、

値段も手ごろで、丈夫という評価は一定しているようです。

 

調べてみると、さらに上の二十四本骨傘もあるようなので、

少々重くても頑丈な傘をお探しの方にはおススメですね。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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