孔明によって殺害されてしまった劉封、実は○○から逃亡するようにアドバイスを受けていた!

2017年9月22日


 

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劉備の養子となった劉封(りゅうほう)

彼は劉備の養子となると若干二十歳で益州攻略戦に参加して、

他の諸将に見劣りしない武功を上げてその名を劉備軍内で高め「蜀に劉封あり」と示します。

彼は益州攻略戦後、孟達と協力して共に荊州(けいしゅう)の上庸(じょうよう)を攻略。

劉封はその後魏軍に寝返った孟達や徐晃(じょこう)等魏軍の攻撃を受け敗北し、

益州へ撤退していきます。

諸葛孔明は劉禅が劉備の跡を継いで皇帝となった時劉封の存在が災いになると考え、

彼を殺害するように劉備へ進言。

劉備は孔明の進言を採用して劉封を殺害してしまいます。

この時、劉封は「孟達のアドバイスを聞いておけばよかった」と後悔を口にしたそうですが、

孟達からどのようなアドバイスをされていたのでしょうか。

 

関連記事:劉備の養子・劉封(りゅうほう)はなぜ殺されねばならなかったの?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽の救援要請をシカト

 

劉封と孟達は上庸を攻略して各地の郡を統治していきます。

しかし彼らは上庸を攻略したばかりで、

上庸近辺の郡がまだ彼らの統治に馴染んでいませんでした。

そんな中樊城攻略戦に出陣していた関羽から援軍要請がありましたが、

劉封と孟達は関羽の救援要請を断ってしまいます。

その理由は上記で説明したとおり、

上庸近辺の郡の統治がスムーズにいっていなかった事が原因です。

その後も関羽から何回も救援要請がやってきますが、

劉封たちは彼の救援要請に応じることはありませんでした。

関羽は呉の裏切りと徐晃の奮戦によって敗北してしまい、

呉軍に討ち取られてしまいます。

劉備は呉の裏切りと上庸の劉封と孟達が関羽に救援軍を差し向けなかったせいで、

関羽が討ち取られたと考えておりました。

 



魏へ寝返る孟達

 

関羽敗北後、上庸では劉備の怒りの矛先が呉と劉封・孟達に向いていることを知ります。

孟達は劉備へ上奏文を送りつけた後に魏へ寝返ってしまいます。

劉備の逆鱗を恐れていた孟達ですが、彼が魏に寝返った理由はそれだけではなく、

劉封とうまくいっていなかったことも原因の一つでした。

こうして魏に寝返った孟達は曹丕(そうひ)から厚遇され、

上庸一帯を治める太守として任命されることになります。

 

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ぼっちになった劉封にアドバイス

 

劉封は孟達が魏に寝返り、大軍を率いて上庸へ向かっていることを知ります。

彼は上庸で一人ぼっちになってしまい、どうやって魏軍と戦うか思案している最中

裏切り者である孟達から手紙が届きます。

孟達からの手紙を読んだ劉封は激怒して破り捨ててしまいますが、

この手紙には何が書いてあったのでしょうか。

 

いつ来るの?今でしょう!!

 

孟達は劉封に宛てた手紙にはどのような内容が書いてあったのでしょうか。

孟達は劉封へ「私が思うに漢中王はすでに阿斗(あと)を皇太子として自らの後継として

決定しているように思え、あなた様に対して邪念を持っているように思えます。

私が考えるにはすでに漢中王近くに仕えている側近達は、

あなた様の悪口を言っているような気がしてなりません。

もし側近達が漢中王へあなた様の悪口が囁かれているとしたら、

非常に危険な立場にあなた様は置かれているのではないのでしょうか。

このような状況下に置かれているあなた様が災いを避けずに蜀に留まっているのは、

賢明な判断ではないと思います。

魏の皇帝である曹丕様はあなた様がもし魏に来るのであれば、

新しい領土を与える準備をしておりいつでもウェルカムとおっしゃっております。

また近年ある学者が流行らせていた言葉をあなた様に送りたいと思います。

いつ来るの?今でしょう!!」と綴っておりました。

劉封はこの孟達のアドバイスを受け入れることをしないで、

魏の大軍と戦い敗北してしまい上庸は魏に帰属することになります。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

孟達はいち早く魏に寝返った事で劉備の逆鱗に触れることはありませんでした。

しかし劉封は孟達のように魏に寝返ることをしないで、

最後まで蜀の群臣として魏軍に抵抗するのですが、力及ばず上庸をとられてしまいます。

彼は上庸が魏に奪われると益州の首都である成都へ落ち延びることに成功するのですが、

劉備の逆鱗と諸葛孔明の進言のせいで処刑されてしまうのです。

孟達のアドバイスを聞いていれば命は助かったはずですが、

「劉玄徳の養子」と言う自らのプライドを捨てることができなかった為、

蜀に残ったと思われます。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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