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【キングダム】河了貂(かりょうてん)は本当にポンコツなのか?検証してみる

2017年10月17日


 

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朱海会戦で、大幅に株を上げた蒙恬(もうてん)、その陰で、信同様に、

いえ、信以上に、ポンコツ呼ばわりされているキャラクターがいます。

それが、飛信隊の公式軍師である、河了貂(かりょうてん)です。

いざとなれば、剣の一撃がある信と違い、河了貂は頭脳的にポンコツと呼ばれ、

一部ではアンチ・テンの読者まで存在しています。

しかし、どうして河了貂は、こうまで嫌われるのでしょうか?

そして、河了貂は本当にポンコツなのでしょうか・・

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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河了貂(かりょうてん)が嫌われる理由 ハッキリ言い過ぎる

 

河了貂が一部にアンチがつく理由としては、

物事をはっきり言い過ぎるという点があります。

それが、一番出たのは鄴攻めの途中で、王翦(おうせん)が列尾を放棄して、

鄴を目指して進撃を開始した時の事で、河了貂は王翦の意図が分からず

「自殺行為だ、最低の作戦だ」と王翦をdisりまくるという荒技をかまし

近くにいた蒙恬(もうてん)を若干、引かせてしまいます。

 

その割には、同じ質問をバカで有名な信が王翦に直接に聞いたら、

慌てて止めようとしていましたが・・

このように、疑問を持った時に、それを率直に口に出すのが、

河了貂の欠点であり、口は災いの元という事になります。

 

疑問を率直に口にするのは、軍師の素質の第一

 

しかし、よくよく考えてみましょう、河了貂の持った疑問は、

彼女の疑問だけでなく、一部の人々をのぞいて全員が共有したものです。

それでも多くの人々は、王翦将軍の考える事だから、きっと深い意味があると

敢えて、言挙げしなかっただけです。

 

ですが、軍師たるものが、そうであってはいけないでしょう。

疑問があれば問うのは、軍師として当たり前の素質ではないでしょうか?

河了貂は王翦の幕僚ではないので遠慮していましたが、仮に、

王翦の幕僚であれば、臆する事なく、この無謀に見える作戦の意図を

間違いなく確認した事でしょう。

元より、王翦の作戦には秦軍、二十万の生命が懸かっているのですから

疑問に思えば反論する、疑問を口にするのは当然の義務です。

これをポンコツと言い出したら、自分が察知できない将軍の作戦には、

軍師は沈黙して従うしかなくなるでしょう。

河了貂を嫌う人には、その点も考慮して欲しいのです。

 

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河了貂がキングダムファンから嫌われる理由 可愛いオーラを出すな

 

今回、蒙恬が崩壊寸前の麻紘(まこう)軍を立て直した時には、

河了貂が終始本陣で蒙恬の側について、その采配の一部始終を見ていましたが、

遅ればせながら、馬呈(ばてい)が手薄な本陣に攻めて来ない理由を言い当て、

蒙恬に「流石、気づきが早いな」等と言われています。

 

それについても、後追いで蒙恬の采配をしてないで、飛信隊の役に立てとか

蒙恬の顔を見つめたりして、元は、僕っ娘の癖に、こんな場合だけ、

オンナオンナすんのがムカつくと、ポンコツのレッテルが貼られています。

 

世界の戦史には観戦武官というものがあるのです。

 

しかし、よく考えてみれば、河了貂は、軍師になってから、まだ日も浅く

実戦から、様々な事を吸収しないといけないお年頃です。

急激に戦術の才能を開花させた蒙恬の側にいて、その采配を研究し

自分のモノとするのは、悪い選択ではないのではないでしょうか?

 

何やら、信を放ったらかしのように言われていますが、

ちゃんと羌瘣(きょうかい)が副将でついていて

暴走を食い止めているのですから、打つべき手は打っているのです。

 

それに戦史では、外国の戦争に従軍して、その戦い方を研究する、

観戦武官という存在があります。

飛信隊で、そのノウハウを役立てる後々の為に、テンちゃんが、

蒙恬の横で戦いを観戦していてもいいじゃないですか?

 

河了貂(かりょうてん)前向きで目標が高く 女性人気高い

 

ぶりっ娘しているのが嫌いという声がある一方で、河了貂は女性人気が高いです。

元々、河了貂は、中華の人間ではなく、黒卑村で祖父と暮らしていた山の民でした。

信や秦王政に協力したのも、協力すればお金がもらえるからという即物的な

願いがあったからです。

 

そんな彼女が、戦いの中で、自分を見つめ直し、人生を充実させて生きる為に

選んだのが現在の軍師で、それまでには幾多の苦労や苦悩があり、

ただ、可愛いだけで、ここまで来たのではありません。

キングダムは、特に軍隊は男性世界ですから、現代の男性社会で頑張ってる女性は

河了貂に共感するのかも知れません。

 

飛信隊・信と共に李牧を追ったのはやむを得ない選択

 

また、麻紘将軍を殺害した李牧(りぼく)の一行を、信が目撃して追いかけた時に、

河了貂は、それを止めるのではなく、「李牧さえ殺せばこの戦いは終わる」と

一緒に追いかけました。

 

これも、軍師の癖に軽率すぎる、総大将王翦の命令を無視した等と、

やはりポンコツレッテルを貼られています。

しかし、よく考えてみましょう、飛信隊は元々、遊撃隊であり、

左翼戦線を支える部隊ではありません。

 

確かに、王翦の命令は、紀彗の首を獲れでしたが、

それは、麻紘将軍が生きていて初めて可能な事でした。

 

その前提が崩れれば、臨機応変に方針を変えて、李牧を追撃するのは、

最悪の状況下で、ベストではありませんが、ベターではないでしょうか?

それに信と違い、李牧が伏兵を配置している事を察知して、兵を引き上げるなど

決して頭に血が上っただけでも、自暴自棄になっていたわけでもありません。

 

無理筋ではあるが1%の可能性に賭けた、でもダメだった。

それだけの事に過ぎないのです。

 

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キングダム好きブログ主の感想

 

河了貂ポンコツ説を唱える人は、軍師というのは学校を卒業すれば、

即座にパーフェクトな判断が出来ると思い込んでいるようですが、

実際には、そうもいかず、基盤の上と実戦では違うという現実を味わいつつ

少しずつ進歩していくしかないものでしょう。

現状では、パーフェクトに近い李牧だって、左翼の戦いは趙の勝利と、

高々に宣言しておいて、見事に蒙恬にひっくり返されました。

 

李牧でさえ、こんな事があるのです、李牧よりキャリアが無い

河了貂ですから、もちろん失敗もあると考えるべきでしょう。

 

ま、なんというか、頑張れテンちゃん!!

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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