漢王朝を腐らせたのは儒者!打倒司馬懿、シチケンジャー

2017年12月21日


 

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(ぎ)の末期、麻薬や酒をあおりながら

実務と全然関係ない老荘思想(ろうそうしそう)の話ばかりして

政治の世界から距離を置いていた、浮き世離れした変人集団の

竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」。

このサロンは司馬懿(しばい)の派閥が専横を極める政治に

対立していた反・司馬懿派の政治結社ですが、

なぜ反・司馬懿だと老荘思想なのでしょうか。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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外戚(がいせき)と儒教の因縁

 

話は三国志のお話が始まる頃、後漢(ごかん)末期にさかのぼります。

後漢では皇帝のママの一族である外戚(がいせき)と、

皇帝の身近にお仕えする宦官(かんがん)とが権力争いをして

世の中ぐっちゃぐちゃになっちゃったわけですが、

政府でお仕事をしていた偉いお役人さんたちは宦官のことは

嫌いでありまして、外戚のほうと仲良しでした。

例えば、三国志に出てくる袁紹(えんしょう)は代々高級官僚を

輩出している家柄の出身ですが、外戚である何進(かしん)

協力して宦官勢力を排除しようとしていましたよね。

このように、外戚と仲良しの官僚さんたちですが、彼らは

みんな儒教を身につけている人たちでした。

後漢では儒教重視政策があったので、儒者(じゅしゃ)じゃないと

官僚になりづらかったためです。

 

儒者官僚(じゅしゃかんりょう)はいいトコのぼんぼん

 

儒教を修めて官僚になるという出世コースなわけですが、どのようにして

就職するかというと、それは郷挙里選(きょうきょりせん)という制度で、

地元の有力者から「うちの地域にこんなナイスガイがいるからオススメ!」

って推薦してもらって就職するわけです。

こういう就職方法なので、官僚はみなさん地元に根付いた

有力者の階級の出身です。地元で人気のお金持ちの家の子じゃないと、

誰もわざわざ推薦なんかしてくれませんからね……。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

儒者官僚が国を悪くした!?

 

この、地元で人気のお金持ちの家の子らがえげつないんすわ。

地元に都合のいい政策ばかり通そうとするんですよ。

実家は地元に根を張っていて、税金を払いきれなくて夜逃げしたような流民を

自分のところで囲って農奴として使って荘園経営なんかして潤っちゃってるわけです。

民に夜逃げされたら国家の税収が減るわけですから、

国は貧乏になる一方、地方の豪族は潤う一方。

官僚たちは実家が豪族なもんで、国家にとって困ったその状況にも見て見ぬふりっすわ。

こうやって世の中、悪くなっていったんですよ。宦官ばかりのせいじゃない。

 

我らがヒーロー、曹操(そうそう)登場!

 

腐った官僚が牛耳る腐った世の中に我慢ならなかったのが、

あのちっこいオッサン、曹操(そうそう)です。

彼は宦官の孫ですから、儒者官僚たちとは出自が違います。

なんのしがらみもなく改革を断行できるわけです。

 

 

そもそも宦官の孫であるというだけで儒者官僚たちからは

人間じゃないみたいに扱われるわけですから、何もかも

ぶっ壊して作り替えてやれって思うのはごく当然の成り行きですな。

そうして曹操は魏の建国のいしずえを築きましたとさ。

 

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曹操LOVEからの老荘思想

 

曹操の志は、儒教にとらわれず合理的で公平な政治をしようということでした。

儒教が牛耳っている世の中で芽が出なくても、曹操の体制の中でなら

生き生きと活躍できるという人が大勢いました。そういう人たちは、

みんな曹操のやってることが大好きで、儒教に対しては反発する立場をとっていました。

儒教への反発の一つの形式としてあったのが、老荘思想です。

つまり、老荘思想は曹操大好き、儒者官僚大嫌い、という立場を

とっていることの目印だったわけです。

 

司馬懿は儒者

 

曹操は司馬懿の才能を高く買っておりかつ非常に警戒していました。

鳴かぬなら殺してしまいたかったホトトギスでしょう。

なぜ曹操が司馬懿を毛嫌いしたかというと、司馬懿は儒者官僚の家柄の

有力者だったからです。彼の存在は無視できない。目の上のたんこぶ。

言うこと聞いてくれてる間はいいけど制御できなくなったら世の中また腐っちゃう。

そういう警戒心を抱いていたはずです。

曹操の存命中は、司馬懿は飼い殺しにされていました。

 

なぜ反・司馬懿だと老荘思想なのか

 

曹操の死後、司馬懿はグングン力をつけてきて、

曹氏の有力者やその協力者を一人また一人と抹殺しはじめました。

それに対立する、親曹氏・反司馬氏の政治結社が竹林の七賢ですが、

さて、ここで最初に提示した問題に戻ってきました。

彼らがなぜ老荘思想だったのか。それは、司馬懿が儒者だったからです。

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

儒者官僚がそんなに悪かったなんて本当? え~、嘘っこだべさ、そんなの。

そうそう。どんどん疑って下さい。

何が本当か分らないという猥雑さこそが、三国志の醍醐味。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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