【よかミカン紀行】甘寧がブイブイいわせてた重慶ってこんな街!

2018年1月17日


 

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三国志の呉(ご)の切り込み隊長、甘寧(かんねい)

若い頃は巴(は)という土地でギャングの頭目のようなことをやっていました。

根拠地は現在の重慶市。私ことよかミカン、その重慶に行ったことがありますので、

どんな街だったかご紹介しちゃいます!

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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重慶の読み方は、「じゅうけい」?

 

個人的に、気になってならないことがあるのですよ……。

重慶という地名、ふつう「じゅうけい」と読まれておりますが、

これ、正しくは「ちょうけい」なんじゃないでしょうかね?

重慶とは、二つの慶事が重なるという大変めでたい地名です。

日本語の漢字の音読みでは、「重」という字を「じゅう」と読むのは通常

「重たい」という意味の時で、「重なる」という意味の時は「ちょう」と読むのがふつうです。

中国語でも、重たい時はzhong、重なる時はchongと、はっきりと発音が違うんですよ。

重慶は「ちょうけい」と読まなきゃおかしい。っていうか、私が初めて重慶という

土地の名前を聞いた小学生の頃には、「ちょうけい」と呼ばれていました。

(私は小学生時代から中国に注目していたんですよ。NHKニュースで中国の

経済発展が紹介されているのを見て、漠然と、これからは中国だなぁと思いまして)

 



「はじ三」じゃなくて「はじ漢」だこりゃ

 

成人して会社に入り重慶のことを「ちょうけい」と呼んだ時に、

「じゅうけいでしょ?」と訂正された時はものすごい違和感を覚えました。

今では世の中に合わせてふつうに「じゅうけい」と呼んでいますがね……。

いいさ。「重」を「重なる」という意味で読む時の音読みは、音読みとして

ポピュラーな「漢音」では「ちょう」だけど、古式ゆかしい「呉音」では「じゅう」だから。

(これ全然「はじめての三国志」じゃないですね。「はじめての漢和辞典」

全十五回のうちの第十三回目ぐらいな感じ)

ちなみに、重慶の名前の由来となった二つの慶事とは、宋(そう)の第三代皇帝

光宗(こうそう)が皇太子だった1189年1月に恭(きょうおう)に奉じられ、

そのちょっと後の2月に父・孝宗(こうそう)からの禅譲(ぜんじょう)を受けて

皇帝になったことです。王位が一つ目、皇位が二つ目の慶事です。

(パパもボクも「こうそう」って、これまたややこしい……)

 

 

古代中国・超科学の世界に挑戦する HMR

 

やっと重慶の紹介

 

さて、重慶は三国志蜀(しょく)の都があった四川(しせん)盆地の東南の

端っこにあり、ここから険しい山脈を縫うように長江(ちょうこう)を下っていくと

三国志の呉(ご)にあたる地域まで行くことができ、海まで出られます。

嘉崚江(かりょうこう)と長江の二つの大河が交わる水上交通の要衝で、

そこから船で海外まで物資を運べてしまう便利さから、工業都市として発展しています。

夏は殺人的に蒸し暑くなることで有名で、南京(なんきん)・武漢(ぶかん)と並んで

中国の三大火炉(さんだいかろ。火炉はボイラーのこと)と称されています。

名物料理は火鍋という真っ赤な激辛鍋です。食べると痛い。

 

長江をのぼった先に現れる「山城」、重慶。

 

中国旅行ツアーのリストを見ると「長江三峡(さんきょう)クルーズ」という

メニューがあるかと思いますが、私はそれで重慶に行きました。

呉(ご)の方から長江をさかのぼって三峡を通り、終点が重慶でした。

重慶はたしかに、四川盆地の入口という感じがしました。

それまで山の間の急流をのぼっていくのに、かぽっと開けるんですよ。

視界が開けて流れも緩やかになった先に、忽然と現れるんですよ、重慶が。

二つの大河に挟まれた小山のように。日本の軍艦島を巨大にしたような風采です。

あんな要塞チックじゃありませんが。重慶は「山城」と呼ばれています。

 

重慶の印象

 

重慶港の埠頭から上陸し、二つの大河の合流点を眺めることしばし。

嘉崚江の水は緑色、長江の水は黄土色。混ざってるポイントはマーブル模様に

なっており、見てるとテンション上がります。

港には、お客さんの大きな荷物を奪うように運んで運び賃をもらう仕事をしている

真っ黒に日焼けした労働者の方が忙しそうに立ち回っています。

こういう港町で甘寧がギャングを率いていたのは、いかにもそうであろうと思います。

彼のギャング集団は港湾労働者の組合のようなものだったんですよ、きっと。

私が一緒に旅行をしていた女の子と二人で河を眺めながらうかうかしていたら、

チャラ男の集団が「どこ行くの?」と声かけてきましたよ。

なんだか油断ならない街だな、というのが第一印象。

その後、重慶の地図を買いましたが、私たちをお上りさんだと見てナメた

売り子のおばちゃんが料金を高くふっかけてきたという話は、

私の個人のサイトに書いてありますから見て下さいね。(また売り込みか。げんなり)

 

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三国志ライター よかミカンの独り言

 

重慶は、素敵な街でしたけどね。全体的に山のような形になっていて、小さな階段道が

くねくねと入り組んでいるんですよ。ダンジョンみたいでテンション上がります。

火鍋も辛すぎてテンション上がりますよ。口が痛い、目が痛い、風下にいると

皮膚まで痛い。人によっては翌日以降におしりまで痛くなるそうです。

しかもケシの実どっさり入っていて、これ大丈夫なの(麻薬成分……)?という感じ。

私は激辛大好きなんで、とても美味しく頂けました!

 

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よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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