河北の覇者・袁紹。
曹操は袁紹の国力に対して圧倒的な差をつけられていました。
そのため官渡の戦いではかなりの苦戦を強いられることになります。
しかし曹操は袁紹の攻略法を何とか見出して、袁紹を倒すことに成功します。
今回は曹操が見つけた袁紹攻略法についてご紹介したいと思います。
関連記事:官渡の戦いで袁紹が勝っていたら三国志はどうなっていたの?
関連記事:曹操軍の参謀、荀彧(じゅんいく)ってどんな人?官渡の戦いでの大勝利も一通の手紙のおかげ?
袁紹の弱点とは?
袁紹の弱点とは一体何でしょうか。
郭嘉は曹操へ「袁紹は十の敗因があります。
それは軍事、道義、正義、政治、度量、策謀、人徳、仁義、聡明、法制の
10個において殿が袁紹に優っている所です。」とアドバイスをしています。
また曹操は袁紹に対して
「志は大きくても知恵が無く、顔つきは厳しいがキモが小さく、
人を妬んでばっかりな奴で威厳にかけている。
また兵士の数も多いが軍令が行き届いていない。
この兵士を率いる将軍達も威張り腐っている。
更に政治上に一貫性がないから統治もゆるゆるだ。」と評価しています。
このように弱点だらけの袁紹ですが、曹操が見出した袁紹の弱点を紹介していきましょう。
袁紹攻略法その1:弱点を突く
袁紹攻略法その1は彼の弱点を突く事です。
曹操は官渡の戦いの時、彼の弱点をついています。
例えば袁紹は優柔不断で決断力に優れていない所です。
曹操は許攸が鳥巣に袁紹軍の兵糧が集まってきているとの情報を与えます。
曹操は彼の情報を信じてすぐに出陣し、
鳥巣に集まっていた兵糧を全て燃やすことに成功します。
袁紹はこの時鳥巣から救援要請が来ていたにも関わらず、
全軍で救援することをしないで、中途半端に軍勢を派遣します。
この結果、袁紹は鳥巣を救援することができず、
兵糧が無くなってしまったたため官渡から撤退することになってしまいます。
曹操が袁紹の優柔不断な所を見事に突いた一例と言えるでしょう。
もしこの時、袁紹が全軍を率いてもしくは大軍勢を救援に差し向けていれば
鳥巣を救うことができ、兵糧を維持しながら
官渡の戦いに勝利することができたかもしれません。
袁紹の攻略法その2弱音を吐いても踏みとどまる忍耐力
曹操は官渡の城塞に篭城して袁紹軍の大軍と戦っていた時、
弱音を手紙に書いて許で留守番をしている荀彧に送ります。
曹操は手紙に
「もう兵糧は少ないし、袁紹軍は大軍だし、勝てないから
許に撤退しようと思っているんだけどどう思う」と書いて送ります。
荀彧はこの手紙を見てびっくりしてすぐに曹操へ
「殿。袁紹は全軍を用いて官渡で一大決戦を行っています。
まさに天下分け目の戦と言っても過言ではありません。
袁紹は一平民の剛勇ですから多くの人が集まってきても、
それを用いることはできないでしょう。
それに比べて殿は英知と勇武、そしてそれを支える天子がいるのです。
これらをもってすれば袁紹如き簡単に倒すことが出来るでしょう」
と激励の手紙を送っております。
曹操はこの手紙を読んで気力を取り戻し袁紹軍の攻撃を何とか粘り強く耐え続けるのでした。
そして曹操は許攸から兵糧庫の情報をもらい袁紹に逆転勝利することになります。
粘り強くチャンスを待ち続ける事こそ袁紹の攻略法の一つと言えるでしょう。
正史三国志の袁紹の評価とは
袁紹は曹操に見事弱点を突かれて破れてしまいますが、
正史三国志の作者陳寿はどのように彼を評価しているのでしょうか。
陳寿は「袁紹の威容は堂々としており、名声は天下に轟き、河北に割拠した」と
意外と高評価を与えています。
そんな高評価を与えつつ陳寿は
「しかし、外面は寛大に振舞いながら内面は猜疑心が強く、
謀を好みながら決断力に欠けていた。
また、優れた人物がいても用いることができず、忠言を聴いても実行できなかった。
長子を廃して庶子を後継ぎにしようと考え、礼儀を捨て個人の情を重んじた。
だからその死後、子孫が困窮し領地を失ったのは当然であった」と
上げて落とす評価を彼に与えていました。
陳寿にも弱点を見抜かれている袁紹でした。
三国志ライター黒田レンの独り言
袁紹の攻略法は粘り強くチャンスを待つ事と多くの弱点を突く事です。
彼の攻略法はこの二つになりますが、当時は攻略法なんて存在していないので、
曹操の相手の弱点を見抜く眼力はさすがの一言に尽きます。
参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等
関連記事:【官渡決戦間近】曹操軍の陣中で慎重論と積極論を進言をしていた代表者達
関連記事:官渡の戦いでも使われ東西を問わず世界中で取られた戦法「坑道戦」って何?